「幽霊は実在する」
そう言われても、いまいちピンとこないのではないでしょうか。幽霊のような非科学的で証明できないものを信じている人は、きっと少ないでしょう。しかし、化学では証明できないような出来事も実際に起こっているのです。
ここでは、『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで 』から、石巻市で起こった幽霊現象を紹介します。
幽霊かもしれない
「あれはもしかしたら、幽霊かもしれない」
そういう体験をしたことはないでしょうか。
物音がするので玄関先に行って見ると、ノックの音が聞こえた。声をかけても応答がないので戸を開けてみると、そこには誰もいなかった。
工事現場で、何度もチェックしたのに鉄パイプが何度も落ちてきて死にそうになった。
車で走っていると、確かに誰かを轢いたと思ったのに何もなかった。
しかしこれらはすべて、「かもしれない」という現象にとどまっています。
ところが、石巻市のタクシードライバーが経験したことは、「かもしれない」だけでなく、直接対話をしたり接触したりしている点で大きな違いがあります。
東日本大震災を通して見える幽霊の存在
平成23年3月11日、東北地方を震源とする大地震が発生しました。その時の被害は甚大なもので、およそ16,000人の方がお亡くなり、およそ2,600人が行方不明のままいまだに発見されていません。多くの人の命が、一瞬のうちに奪われてしまい、未曽有の大災害となりました。
被災地となった石巻市では、多くの怪奇現象が目撃され、報告されています。中でもタクシードライバーが経験した幽霊現象は、他とは少し異質な点があります。
タクシードライバーの体験
震災から3か月くらいたったある日の深夜、石巻駅周辺で乗客の乗車を待っていると、初夏にもかかわらずファーのついたコートを着た30代くらいの女性が乗車してきたという。目的地を尋ねると、「南浜まで」と返答。不審に思い、「あそこはもうほとんど更地ですけど、かまいませんか?どうして南浜まで?コートは暑くないですか?」と尋ねたところ、「私は死んだのですか?」震えた声で応えてきたため、驚いたドライバーが、「え?」とミラーから後部座席に目をやると、そこには誰も座っていなかった。
『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』
13年の8月くらいの深夜、タクシー回送中に手を挙げている人を発見し、タクシーを歩道につけると、小さな小学生くらいの女の子が季節外れのコート、帽子、マフラー、ブーツなどを着て立っていた。時間も深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると、「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきたとのこと。迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ねると、答えてきたのでその付近まで載せていくと、「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと思ったら、その瞬間に姿を消した。
『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』
14年6月のある日の正午、タクシー回送中に手を挙げている人を発見してタクシーをとめると、マスクをした男性が乗車してきて、服装や声から青年といった年恰好だったとのこと。(中略)その青年は、真冬のダッフルコートに身を包んでいたらしい。ドライバーは目的地を尋ねると、「彼女は元気だろうか?」と応えてきたので、知り合いだったかなと思い、「どこかでお会いしたことありましたっけ?」と聞き返すと、「彼女は…」と言い、気づくと姿はなく、男性が座っていたところには、リボンがついた小さな箱が置かれてあった。
『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』
ドライバーはいまだにその箱を開けることなく、彼女へのプレゼントだと思わせるそれを、常にタクシー内で保管しているそうだ。
以上のような、タクシードライバーが体験したことは、他の幽霊現象と比べて何が違うのでしょうか?
それは、「かもしれない」ではなく、実際に間近で対話をしたり触れているという点です。
本人の思い違いや「幽霊を乗せた夢でも見たのでは?」と尋ねたくもなりますが、タクシードライバーの体験は、それほど単純化して説明できるものでもありません。
タクシーにお客さんが乗車すれば、「空車」から「実車」などにメーターが切られます。走った分だけ燃料は減るし、GPSや無線で連絡を取り合うので、はっきりとした証拠が残ります。
何より、ドライバーと幽霊の間に、しっかりとした会話が成り立っています。目的地を尋ねたタクシードライバーの質問に対し、「○○まで」という答えがはっきりと返ってきているのです。相手が生身の人間であると思って疑わないほど存在が具現化しているのが、タクシードライバーが体験した幽霊現象なのです。
死者の無念とドライバーの畏敬の念
幽霊というと「うらめしや~」という言葉が思いつくのではないでしょうか。その言葉通り、この世に未練を残したまま死んでしまい、生きている人間が「恨めしい」と感じ、成仏できずにいるのが幽霊であると考えられることが一般的です。
しかし、ここでの幽霊は現世に対する「恨めしさ」によって現れたのではなく、「無念」の想いからあったのではないかと考えられています。
東日本大震災で亡くなった人たちは、本人自身もわけがわからないうちに突然死が訪れてしまい、家族や恋人、友達やお世話になった人たちなどに何のお別れもできずにこの世を去ることになってしまったのです。さらに、タクシードライバーが実際に接触した幽霊のほとんどは、社会的に見ればまだまだ将来性がある若い世代の人たちばかりです。
この世に残した未練は、とても大きなものだったのではないでしょうか。そして、そこに対する感情は「恨み」よりも、突然の別れに対する「無念」のほうが大きいと考えられるのです。
また、タクシードライバーは地域密着型で、人と人、人と場所をつなぐ大切な役割を担っています。さらにドライバー自身も震災で家族を亡くしたり家を失ったり、つらい思いをされています。だから、幽霊に対し、悪い印象をほとんど持っておらず、むしろ無意識のうちに「畏敬の念」をいたと考えられています。
つまり、死者の「無念」の想いを、タクシードライバーの「畏敬の念」が汲み取り、今回の幽霊現象が起こったと考えられているのです。
「わからない」から怖い
科学の発達でわからないことが分かるようになり、逆に科学では証明できないものを信じることが難しくなってきました。
「幽霊」をとってみても、科学的に証明できないので「存在しない」と考える人のほうが多いでしょう。しかし、タクシードライバーの体験のように状況証拠がそろっているにも関わらず幽霊としか言いようのない出来事が起こっているのも事実です。
そして、このような証明できない出来事が起こった時、人は「怖い」と感じてしまうものです。
しかし、石巻市で起こった幽霊現象に対し、タクシードライバーは「怖い」とは思わなかったのです。そこには、震災で突然亡くなってしまった人の持つ「無念」の想いを汲み取る、死者に対する「畏敬の念」があったからです。
「わからない」から「怖い」、「証明できない」から「存在しない」では収まりきらない、人智を超えた力や出来事が、世の中にはたくさんあることを感じさせられます。