「行い」と「心」 気持ちの問題
「行い」と「心」には、きっても切れない関係があります。
よく「気持ちの問題」という言葉を耳にします。
特にお葬式や法事などに関して、必ずしなければいけないのかどうか、という話になると、
「気持ちの問題だから、絶対にする必要はないよね」
と言って、簡略化したり、法事を行わなかったりする場合も見受けられます。
法事をしないことをいいとか悪いとか言うわけではありません。
しかし、やりたくないことを「気持ちの問題」に置き換えていないでしょうか?
例えば、仕事が終わらなかったり、道に迷ったり、自分が何かに困ったときには、誰かに助けを求めると思います。助けてもらったとき、「ありがとう」とお礼を言いませんか?
例えば、仕事でミスをしたり、周りに迷惑をかけてしまったとき、「すみません」「ごめんなさい」と謝りませんか?
助けてもらった時に、「相手にお礼は言わないけど心のなかでは感謝してる」という人はいないのではないでしょうか。
「相手に謝らないけど、心の中では本当に反省してる」という人はいないのではないでしょうか。
助けてもらったらありがとうと言う、迷惑をかけたときはごめんなさいと言う、というのは、子供の頃から教えられることです。そして、それは相手に伝わるように言いましょうと教えられます。
仏事に関しても同じではないでしょうか。
ご先祖様のことを心から敬い、亡き故人を偲ぶ気持ちがあるならば、「気持ちの問題」だけではなくて、そこから行動に表れて出てくるのではないのでしょうか。
総持寺67世の松尾全弘上人は、こんな言葉を残されています。
心 自ずから 形を伴い
形 必ず 心を格す
他人に感謝したり、尊敬したり、また反対に後悔や懺悔の思いがあるならば、それは自ずと形として表れてきます。その気持ちがあれば「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉や、それに見合った行動が自然と出てくるのです。
また逆に、一つ一つの行動を大切にしていれば、心も次第に整えられていきます。「ありがとう」という言葉をたくさん使うことで、感謝の気持ちはより一層育まれていくのです。