あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである
人は何かをしてもらうと、返したくなるという義務感が働くといいます。これを心理学では「返報性の原理」というそうです。
例えば、お中元やお歳暮など、何か贈り物をもらうと、必ず返さなければいけないと感じます。モノだけでなく、行為を受取ったときには、それに対してなにかお礼をしなければと考えます。
また悪いことをされると、やり返してやろうという気がおこります。もらいっぱなしというわけにはいかず、何でもお返しをしなければいけないという心理が働くというのです。
贈り物をもらうと、だれでもうれしくなります。しかし同時に、何か返さなければいけないという義務感にさいなまれ、それを苦痛に感じることもあります。最近ではそのように「気をつかうから」「気をつかわせるから」といって、贈り物をする機会が減ってきているようにも思います。
確かに、面倒な一面はあるかもしれません。しかし、贈り物をしあうということは、ひとつの大事なコミュニケーションではないでしょうか。
人と人を結びつけるツールとして、贈り物があるのです。人と人とのつながりや、その間にあるお互いを思いやる気持ちは目には見えません。目に見えないものを見える形であらわしたものが、贈り物なのではないかと思うのです。
毎年、友人からマスカットを送っていただきます。岡山県産の厳選されたマスカットはとてもあまく、失礼ながらスーパーで買う物よりもひと味もふた味も違うような気がします。家族であっという間に食べきってしまいました。
このお礼にと、和歌山県のものをと思って品物を送り返します。海苔、梅干し、醤油、みかんのポン酢、みかんジュースなどなど、同じものを返していては味気ないと、その都度できるだけ違うものを選ぶようにしています。
初めのうちはとにかく思いつくばかりに選んでいましたが、10年以上も続けていると、だんだん品物を選ぶのにも困るようになってきました。
何がいいかと考えているうちに、かなりの時間がたってしまいました。
「遅くなってごめん。選ぶのに時間がかかりました」と連絡をすると、「毎年違うものを送ってくれてくれるから、選ぶのにも時間がかかるんでしょ。ありがとう」と返事がありました。
先方は「私のことを思って、時間をかけて品物を選んでくれたんだ」というふうに受取ってくれたのです。
「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは、一種の恩知らずである。」
フランスのラ・ロシュフコーという人のことばです。この言葉には、気持ちが大切だという思いが込められているように思います。
贈り物をもらい、あまりにも急いで返そうとすることは、お金で物を買うような商品の交換と同じことのように思います。
相手のことを思い、じっくり考えてお返しするところに、お互いの間に深いつながりが生まれてくるのではないでしょうか。
供養なら、和歌山かんどり本山総持寺へ
他者を思いやる心「慈悲」は、全ての人に向けていくように心がけることが大切です。それは、生きている人に限ったことではありません。大切な亡き人のおかげ。ご先祖様のおかげ。仏さまのおかげ。こうした気持を持つことも、大切な思いやりの心「慈悲」なのです。
この慈悲を具体的に形にあらわしたときに行う行為のひとつが「供養」なのです。
「供養」とは、このいただいた命への感謝であり、ご先祖様や故人様への思いやりや報恩の心を形にする行いです。
和歌山市に位置するかんどり本山総持寺は、「いつでもお参りができるお寺」として、心の通う供養を大切にしています。仏さまやご先祖さま、故人を偲ぶ場所は、いつでも気軽に訪れられる場所であってほしい。そんな願いを形にしたのが当山です。
特に近年ニーズが高まるお納骨や永代供養についても、安心して任せていただけます。永代にわたる供養と管理を通じて、ご遺族様の負担を軽減し、「近いからいつでも会いに行ける」という安心感を提供します。
ご供養は、命をいただいて今を生きていることに感謝をし、自分自身の心も清める大切な行いです。しあわせな未来を生きていくために、ご供養は、歴史と安らぎに満ちたかんどり本山総持寺へ、ぜひご相談ください。



