親思う心にまさる親心

親思う心にまさる親心

高校を卒業してすぐ、本山の修行で僧侶を目指す仲間とともに共同生活を始めました。

その後は大学へと編入し、二年ほどひとり暮らしをしながら学校へと通い、そして本山職員としてふたたび住み込みの生活をしてしばらく過ごしました。

そうして結婚を機に和歌山へと戻ってきましたが、実家へ戻ることなく妻と暮らしはじめ、現在では子どもふたり入れて家族4人で生活を営んでいます。

親元を離れて、何年経ったでしょうか。

子どもの頃、一緒に生活をしているときは、親の言うことは厳しく、うるさく、どうにかここから抜け出したいとばかり思っておりました。

早く高校を卒業して、はやく一人前の大人になって、一人で自由に過ごして行きたいと、そんなことばかり考えていました。

それから何年も経った今。

それまでとは違って、客観的に見る事ができているのか、自分の心が変わったのか、はたまた親の心が変わったのか。

ちくいちの親の言葉に、愛情を感じるような気がいたします。

会って話をするたびに、心配されている、気に懸けてくれている、ということを実感するのであります。

6月20日付けの産経新聞「朝晴れエッセー」を紹介します。

夫の実家の片付けをして半年。兼業農家だった義父母が残した物は農業用品だった。鍬(くわ)や鎌、草刈機、発動機、噴霧器、農薬などあげればきりがない。使い方を知らない私たち夫婦はそれらを引き継ぐことができない。

さび付いた農具を見ていて義父母が野菜や果樹を栽培していた頃を思い出した。丹精込めて育てたミカンや柿を箱詰めしてわが家に届けてくれた。

「うまいか?甘いか?」と目を細めた義父母。そんな暮らしがずっと続くと思っていた。

しかし、互いの両親が亡くなる度、一つまた一つとお裾分けの農作物が減り、昨年末義父の他界で何もなくなった。最近、夫は「ミカンってお金で買うものやったんや」としみじみ言った。頼れる親がいないことを身をもって知った。

すると物置小屋で農具の片付け中、段ボール箱から市販薬が出てきた。頭痛薬、腰痛の軟膏(なんこう)、胃薬まで入っている。あちこちの痛みを鎮めようと市販薬持ちで畑に出ていたのだろう。

だが、義父母から体の不調を聞いたことがなく、私たちの喜ぶ顔見たさの重労働だったことが分かり言葉を失った。農具の遺品整理で親の思いを知ることができた。

片山ふみ(67) 大阪府河内長野市

親が子を思う思いというのは、分かっているつもりでも、それ以上に大きいものであります。

見えないところでどれほど苦労しているか、それを知ったときには、本当に親のありがたさ、偉大さを痛感いたします。

「親思う心にまさる親心」とは、本当によく言ったものであります。

仏教でも、親に対する「恩」と、それに対する「孝」の大切さがあらゆるところで説かれています。

念仏をすることを勧めている『観無量寿経』でも、孝行の大切さが説かれています。

私たちは阿弥陀仏や、たくさんの皆さんのおかげで生かされていて、皆さんのおかげで救われて生きているわけですが、それに対する報恩感謝の行いこそ、真の念仏行であります。

さて、その中でも一番は誰のおかげで生きているのでしょうか。

それは紛れもなく親であります。

他人の為に努力し、励むことが、自分の悟りに至るための修行であるというのですが、誰よりも恩の深い親に対して努力することが、まず始めにしなければいけない修行なのであります。

西山上人は

「去・来・現の三世の諸仏は孝養を以て成道し玉ふ。六八弘誓の願も孝養より顕れ、九品の正行も孝養より成ず。」

といいました。

過去、現在、未来のもろもろの仏さまも孝行をもって仏と成りました。

阿弥陀仏の四十八願も孝行の心から顕われて建てられた誓いであります。

『観無量寿経』に説かれているあらゆる修行も、孝行するところから成じていくというのであります。

阿弥陀仏の為に、仏さまの為に、みんなの為に、という前に、一番身近な人である「親」に対してしっかりと行動していくことこそ、本当の仏の道なのでありましょう。

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