さびしさに何とはなしに来て見ればうれし桜の花ざかりかな
毎年、正月には親戚一同集まるのが恒例となっています。3世代、総勢約30人が一堂に会します。今の時代、親戚一同で毎年これほどたくさん集まるところはないだろうと、密かに自慢をしてまわっています。
祖父母が1月にな亡くなっているので、みんなが集まる正月に法事を行っています。そしてみんなで昼食を食べ、一杯飲んで、子どもたちはあちこち走り回ってはしゃぎます。子どもが騒ぐ声が大きいか、大人が叱る声が大きいか、それくらい賑やかな場が広がっています。
そのあと、近所の神社へ初詣にお参りし、ご祈祷をしてもらいます。人数が多いので、毎年誰かしらの厄年や祈願があります。常に騒いでいる子どもたちも、この時ばかりはだまってご祈祷を受けます。正月で唯一の静かな時間かも知れません。
ご祈祷が終ると、初詣のお楽しみ。おみくじです。大吉やったやの末吉やったやの、いつまでも話が尽きません。
さて、私の運勢はというと、大吉でした。
「おもうがままになる運です。短気をいましめて身をつつしみ、何事にも心静かに他人とよくよく相談して事をなさい。すべて心のままになるでしょう」
とのことでした。
おもうがままになるといわれると大変うれしいことですが、短気をいましめて身をつつしむよう釘を刺されているので、気をつけようと思います。
おみくじを見る時に楽しみにしているのが、冒頭に書かれている和歌です。和歌は神さまからのメッセージだといわれていて、この和歌をどのように受け取り、今後の自分の生き方にどのように生かしていくかが大切だといわれています。実は吉凶よりも和歌の方が重要という説もあるようです。
私の引いたおみくじにはこのように書かれてありました。
「さびしさに何とはなしに来て見ればうれし桜の花ざかりかな」
とても分かりやすい歌だと思います。ここから、いろいろなことを想像しました。
さびしさとは、一体どんな寂しさがあるのだろうか。
寂しくてどこへ来て見たのだろうか、どこの桜の花なのだろうか。
花を見てどんなふうに気持が変わっていくのだろうか。
想像を膨らますだけでも、なんだかフッと心が軽くなるような気がしました。
寂しいことやつらいことがあっても、必ずどこかに救いがある。桜の花がいつも変わらず同じように咲くように、救いは求めなくてもすでにそこにある。
いつも変わらず救いの手を差し伸べてくれている、仏さまのお慈悲の光を感じさせる歌だと受け取りました。
大吉だったとぬか喜びせず、和歌をしっかりと心に留めて、今年一年の指針にしたいと思います。
皆さんにも、よい一年になりますように願っております。
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