もしもお金が降ってきたらどうしますか?

お金が雨となって降り注いできたら

「お金が雨のように降ってきたら」と想像したことはあるでしょうか?

何千、何万、何億というお金が一度に降り、それを拾い集める。すると、働かずして有り余るほどのお金が手に入り、仕事を辞めて一生豪遊する・・・

一度と言わず、何度もそんな想像を膨らましました。

実際にお金が降ってくるなんてことはあり得ません。しかし、お金が降ってきたときに人間がどんな行動をするかは、容易に想像がつきます。

モノに群がる人たち

皆さんは「餅投げ」をご存知でしょうか?災厄をはらうためにお餅を投げるという神事です。特に、家を新しく建てる際、棟上げをしたときに、無事に家が建つようにと願って餅投げが行われることがよくありました。

それがお寺の行事にも取り入れられ、節分や初午の法要などでお寺でも餅投げを行っているところがあります。

繁盛餅に手を伸ばす参拝者
紀三井寺の持ち投げ 写真:和歌山新報

お寺の住職や役員さんなどがやぐらなどの上に上がり、お供えしたお餅を投げます。

写真ではみんな笑顔で、楽しく、ワイワイとにぎやかな様子が見て取れますが、実際の現場はすさまじいものです。

「われ先に!!」と手を伸ばし、投げられたお餅をつかみにかかります。隣の人とぶつかろうがお構いなし。足を踏んだり蹴ってしまったりするのはあたりまえ。つかみ損ねたお餅は地面に落ちますが、落ちたお持ちに人が群がる群がる。頭と頭がぶつかるのも当然。挙句の果てには、それは私のだの、とりすぎだの、ずるいだの、ケンカが始まって、流血騒ぎまでおこったところもあるようです。

言い方は悪いですが、まさに人間の本性が現れているようにも思います。

もう少し身近なところを見てみましょう。例えば、年末年始の安売りバーゲンセール。お店前には早くから行列ができて、開店と同時に猛ダッシュ!目的のところへとわれ先にと向かい、セールのものをひったくるようにかき集めていきます。せっかく楽しいはずの買い物が、そこは戦場のように見にくい争いの場へと変わってしまいます。

お金が降ってきたら?

おそらく、お金が突然降ってきたら、餅投げをしたときと同じように、いや、それ以上に、われ先にと手を伸ばし、周りの人と取り合いながら、ケンカをしながら、争いながら、お金を奪い合うのではないでしょうか。それこそ、単なるケンカですめばそれだけでマシな気がします。

さて、ブッダはこのような言葉を残しています。

たとえお金が雨となって降り注いできたとしても、

欲望は満足することがない。

賢い人は、「欲望は味わいのない楽しみだ」と知る。

『ダンマパダ』186

お金が雨のようになって降り注いでくることは、まさに夢のような話です。

しかし、そんな夢のようなことが起こったところで、それに満足しないのが人間です。

もちろん、お金がなくては生きていけません。そうではなくて、ここで大切なことは、お金を求めることに執着することがいけないことなのです。

お金持ちになりたい。

美しくなりたい。

おいしいものを食べたい。

人間の欲望は際限がありません。一つ手に入れば、また次が欲しくなります。お金を稼いでも、きれいになっても、おいしいものを食べても、もっと欲しい、もっといいものが欲しいと、欲望はだんだん大きくなります。

するとどうなるでしょうか?

生きるためにお金が必要だったはずが、お金を稼ぐために生きることに変わっていってしまいます。幸せのために必要だったはずのものが、それを得ることが目的になってしまっています。これでは、目的と手段が変わってしまっています。こんなことにも気づかないのが人間の愚かさです。

生きるためにお金を稼いでいたはずが、お金を稼ぐために生きることに変わってしまっていたらどうでしょう?お金は有限です。そして、お金で得た幸せはその時一瞬だけの幸せに過ぎません。お金を稼ぐことが目的なると、どんだけお金を稼いでも、もっともっととほしくなります。稼いでも稼いでも、満足することがありません。さらに、いつ無くなるかわからない不安にさいなまれることにもなります。お金があればあるなりに、苦しみはいつまでも付きまとっているのです。

現代社会において、日本はモノであふれかえっています。ちょっと行けばコンビニがあり、24時間いつでも買い物をすることができます。100円ショップは大流行りで、だいたいのものは安く手に入ります。生きていくために「モノ」で困ることは、今の日本ではほとんどないのではないでしょうか。

だからこそ物質的な豊かさに目を奪われ、本当の心の豊かさが見えなくなっているように思います。生活に必要で、生きていくための「モノ」であるはずが、目的と手段が逆転して「モノ」が欲しくて働いている。しかし、せっかく頑張って手に入れることができても、ここはモノにあふれる社会です。もっといいものが、目移りするものが、世界中のあちこちにちりばめられています。いつまでも満足することなく、次から次へとほしいモノが増えてくる。結局、いつまでたっても心の豊かさがやってこないのです。

有限で、いつまでも手元に残ることのない不安定なものを手に入れることを目的に生きることに、なんの意味があるのでしょうか?

お金やモノを得るというような、一時だけの幸せを求めて生きることは、なんとも味わいのない楽しみです。

欲のために生きてはいけません。お金は、生きるための手段として必要な物であって、お金を得ることを目的に生き、お金のあるなしに左右され、お金に翻弄されてはいけません。

お金やモノに執着することなく、生きることそのものをしっかりと味わうように心がけましょう。

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