涅槃とは?なぜ仏教では涅槃を目指すのか?

お釈迦様がなくなることを「涅槃」といいますが、その由来は何でしょうか。 写真:いらすとや

涅槃とは?

涅槃とは、「ろうそくが静かに消えて二度と燃え上がらない状態」のことを意味します。ろうそくが完全に消えてしまったときのように、心の中の煩悩が完全に消えて、二度と煩悩が湧き起こらない心のことをいいます。

もう少し簡単にいうと、「悟りの境地」にある心の状態のことをいいます。

この状態のことを、サンスクリット語で「ニルバーナ」といい、これを音写して漢字に当てはめたものが「涅槃」です。

涅槃を目指す理由

仏教の出家者たちは、涅槃に入ることを目標に修行しています。なぜ涅槃を目標にするのでしょうか。

それは、「輪廻」という苦しみの世界から抜け出すためです。

「輪廻」という考え方

輪廻は、あらゆる生きものは、死んでは次の世界に生まれ、そこで寿命が尽きるとまた次の世界に生まれるという考え方のことです。インドではそれが当たり前と考えられており、ブッダもその思想のもとに仏教を開きました。

地獄、餓鬼、畜生、人、天という五つの世界を、生まれ変わり死に変わりしているという考えの中に、私たちは生きています。(のちに修羅ができて六つの世界となった)

これらは、どこの世界に生まれても苦しみの世界であると考えます。たとえ「天」の世界だとしても、そこには寿命があり、いつかは死んで次の世界に生まれるので、仏教の天の世界は苦しみの世界なのです。

輪廻する原因とは

輪廻は、私たちが持っている「業(ごう)」というエネルギーによって起こります。私たちの行いは、「業」というエネルギーに変換されて、蓄積されていきます。そして寿命が終わるとき、蓄積されたエネルギーが発動されて、これによって次の世界に生まれます。

どの世界に行くかは、その時になってみないとわかりません。しかし、「いいことをすればいい世界に生まれる」「悪いことをすれば悪い世界に生まれる」というのが原則です。生きている間に、一生懸命にいいことをするように心がけて、世のため人のために尽くしていれば、天の世界に生まれることができるでしょうし、反対に人を困らせて悪いことばかりしているようでは、死んだあとは地獄に落ちるのです。

そして、この「業」を産み出しているのは、実は人間の煩悩なのです。

煩悩が輪廻を生み出す

煩悩は、心の中にある悪い要素のことで、自分勝手な心のことです。自分の欲望や怒りに任せて言いたい放題やりたい放題、煩悩のまま行動していたら、当然それは悪い業として蓄積されます。

ところが「いいこと」に関しても、そこに自分の煩悩が影響されています。どういうことかというと、例えば重たい荷物を持っている人がいて、その人の荷物を持ってあげたとします。これだけで見てみると、いいことをしたので、善という業が蓄積されるということになります。しかしその裏には、「自分がほめられたい」「善い人に見られたい」といった何かしらの見返りを求めていることもあります。また、「荷物をもってあげた」という傲慢な心が起こっているときもあるし、「せっかく持ってあげたのに、お礼もないのか」と、かえって欲の心や怒りの心を湧き上がらせてしまうこともあります。

このように、一つの行動をとってみればいいことのように見えても、その裏では見返りを求めたりしている欲深い心が起こるのが私たちです。これも煩悩によるものであり、結果として善の業を積んでも、「今よりはいいところ」というだけの苦しみの世界に生まれることになるのです。

輪廻を止めることが目標

苦しみの連鎖である輪廻は、業のエネルギーの蓄積によって起こります。そして業は、人間の煩悩によって生み出されるものです。

つまり、輪廻を止めるためには、煩悩をすべて打ち消して、業が生み出されないようにしなければいけません。

お釈迦様はこの真理に気がつき、修行することによって自分の煩悩をすべて打ち消し、輪廻を止めることに成功しました。これで、二度と苦しみの世界に生まれることが無くなったのです。

この輪廻を止めて苦しみの世界から抜け出すことこそが、仏教では真の安らぎであると考え、これに向けて努力していくことを目標にし、出家者たちは修行しているのです。

そして、煩悩がすべて打ち消され、真のやすらぎの境地に入ることを「涅槃」というのです。

二種類の涅槃

涅槃には二種類あります。

・悟りを開いてすべての煩悩が打ち消された状態

・寿命が尽きて肉体も完全に消滅した状態

修行をして悟りを開いて、煩悩がすべて打ち消された時、二度と煩悩が生み起こされない精神状態が完成されます。煩悩がすべてなくなっているので、これで輪廻することはありません。

しかし、いくら精神的に安らかな境地に至ったとしても、肉体が存在している以上は、病に侵されたり年を取るなど、たくさんの身体的な苦しみが付きまといます。寿命が尽きるとき、すなわち死ぬときに、その肉体による苦しみから解放されることで、今度は精神的にも肉体的にも真のやすらぎへと至ることになるのです。

どちらにしても、煩悩が打ち消されて二度と苦しみの輪廻の世界に戻らない状態であるので、涅槃に入ることには違いありません。

涅槃も輪廻も信じられない人は

仏教の教えは、輪廻という苦しみの連鎖を断ち切り、涅槃という二度と苦しみの世界に生まれ変わらないやすらぎの境地に至ることを目的にしています。

ところが、現代に生きる人々は、おそらく涅槃も輪廻も、簡単に信じることができないでしょう。

しかし、だからといって仏教の教えが現代の人々にとって無意味なものになるかといわれると、そういうわけではありません。「煩悩を断ち切って身の安らぎを得る」ということに注目してみれば、現代の人々を救う大切な教えであると考えることができます。

つまり、「幸せのためには煩悩を断ち切らなければいけない」ということです。自分の煩悩のままに従い、お金や名誉を貪り、感情に任せて腹を立てて怒り、他人を傷つけるようなことをしていては、いずれ周りからも見放されて孤立し、自分の幸福からは遠ざかっていってしまうでしょう。

煩悩を断ち切り、正しい生活をしていくことが幸せにつながることは、いつの時代も同じなのでしょう。

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