ある警察官の話
川村さんという、ある警察官の話です。
彼がまだ新任だったころのことです。
その当時、中心市街から外れた小さな町にある交番に勤務していました。
そこはとても静かな町で、地域の人どうしの関わりがとても深いところです。
川村さんも毎朝交番の前に立っては、通学する子どもたちに挨拶をするなどして、お互いによく知る関係でありました。
そんな町の中に、コウタくんという中学生がいました。
コウタくんは普段の素行が悪く、学校に行く不利をして公園でサボり、たばこを吸い、スーパーでは万引きをし、隣町まで行ってはケンカをして帰るという、いわゆる不良少年として地元では有名でした。
何か事件だと呼ばれて出動したときには、その少年が関わっているといってもいいくらい、警察にとってはあまりよくない常連さんでありました。
川村さんも、何度もコウタくんを補導したと言います。
補導して交番で話を聞いたあとは、お母さんに連絡して迎えに来てもらいます。
ところが、ひとつ不思議に思っていたことがあるそうです。
それは、お母さんは怒ったり叱ったりするどころか、コウタくんに何一つ言わないのだそうです。
迎えに来ても、警察官に「すみませんでした」と挨拶をすると、「帰るよ」と促してそそくさとその場をあとにするのです。
その声には元気がなく、それどころかいつ見てもどこか疲れているようにも見えるのでありました。
その様子を見て、お母さんがしっかりと教育をしなければいけないのに、あの様子ではコウタくんもいつまでたっても変わらないだろうと思ったと言います。
そんなある日のことであります。
交番に連絡がありました。
自宅でお年寄りが死んでいるのがわかったというのです。
病院以外で亡くなったとき、事件性があるかどうかを見極めるために検視をしなければいけません。
近年では一人暮らしのお年寄りが増えたことで、警察官が検視に出動することも多くなったといわれています。
川村さんも検視の補助をするために、先輩の警察官と一緒に現場に向かいました。
連絡があった現場に到着して、川村さんは大変驚きました。
そこは、あのコウタくんの家だったのです。
家族はコウタくんとお母さんとおじいさんの三人暮らしで、お父さんは単身赴任中で今は一緒に住んでいませんでした。
おじいさんは、お父さんの父親であり、お母さんからみれば義理の父にあたります。
2年ほど前から寝たきりの状態で、自宅でお母さんがつきっきりで介護をしていたそうです。
亡くなったのはそのおじいさん。
部屋をひとつ借りて、ご遺体を安置し、検視が始まります。
始める前に、まずはご遺体に合掌します。
初めての検視の立ち会いで、どういう風に対応すればいいかうろたえてしまった川村さんに先輩は、敬意をもってご遺体と接しなさいと言いました。
ご遺体から、故人の最後の言葉を聞くような気持ちでいなさいというのです。
慣れない作業に汗をかきながら、どうにかこうにか検視を終えると、今度はお仏壇にお線香をあげて警察官のみんなで手を合わせます。
これでひと通りの作業は終わりです。
ご遺体には外傷などもなく、事件性などはないということが確認されました。
実は川村さんは、正直不安だったといいます。
もしかしたらコウタくんが、何かしてしまったのかもしれないと思ったのです。
でもそうではないことがわかり、内心ほっとしたそうでした。
さて帰ろうかと荷物をまとめ、玄関まで出て靴をはき、「それではこれで失礼します」と言って帰りかけたときです。
先輩が「余計なことかもしれませんが」と言って、お母さんに向かって話し始めました。
「おじいさんのご遺体は、とてもきれいでした。病気で長い間寝たきりになると、多くの場合はあせもや床ずれなどで肌が荒れますが、おじいさんにはそれがまったくと言っていいほどありませんでした。それに、髪やひげもきちんと剃られている。それほどおじいさんのことを大切に、一生懸命に介護されていたんだということがよくわかりました。お母さんの大変な努力に、頭が下がる思いです。心からご冥福をお祈り申し上げます」
これを聞いて川村さんは、自分が恥ずかしくなりました。
自分はしなければいけないことに必死で、検視という作業を淡々とこなしたにすぎない。
こんな大変な作業の中にあって先輩は、ご遺体をよく観察し、そこからご遺族のご苦労を感じ取ったのです。
きっと先輩は、故人の最後の言葉を聞いたのだろうと思ったのでありました。
それから数日後、いつものように交番の前に立って、登校する子どもたちに挨拶をしていると、その前をコウタくんが通りました。
きちんと学生服を着て、きちんと学生鞄を持っています。
いつも学校をサボって遅い時間に通るコウタくんが、きちんと時間通りに登校しているのです。
川村さんが「おはよう」と挨拶をすると「おはようございます」と恥ずかしそうに挨拶が帰ってきました。
「大変だったね」と声をかけて話をしていると、コウタくんがそのときのことを話してくれました。
「検視が終わっておまわりさんが帰ったあと、お母さんがワッと泣き出したんです。おれは、なんで泣いているかわからないし、どうしていいかわからないし、そこで母さんを見ているしかできなかった。そしたら、手がとても荒れていることに気がついたんです。それに、昔と比べて白髪が増えているし、痩せたように見えるし。おじいちゃんの介護がとても大変だったんだって、そこで初めて気がついたんです」
コウタくんは目にはうっすらと涙が浮かんでいるのがわかります。
「それなのに、おれは、お母さんがなにも言わないのをいいことに好き勝手なことしてたんだ」
だから、学校くらいはちゃんと行こうと思ったのだと、胸の内を明かしてくれました。
それからというもの、不良少年として有名だったコウタくんは、きちんと学校に行って、高校へと進学し、介護士になるという夢をかなえるために大学へ進んだというのでありました。
とてもいいお話を聞かせていただきました。
私はここに、仏さまの不思議な慈悲の力を感じました。
コウタくんは、直接お母さんから何か言われた訳でもないし、警察官から話をされた訳でもありません。
しかし、不良といわれた少年が変わったのであります。
仏さまのお慈悲によって、直接現状が変わったわけではありません。
亡くなったおじいさんが生き返るわけでもありません。
変わったのは、心です。
仏のお慈悲によって変わったのは、コウタくんの心であります。
おじいさんの死を通して、仏さまのお慈悲の光が、コウタくんに届いたのでありましょう。