明るく、正しく、仲良く

仏教の根本精神は、明るく、正しく、仲良く。写真は境内のお地蔵さん。

明るく、正しく、仲良く

仏教には、帰依すべき大切な3つの事柄があります。

これを宝に例えて三宝といいます。

三宝とは仏、法、僧のことです。

仏はブッダのこと、仏さまのことです。

元来はお釈迦様のことでありましたが、仏教の発展とともにその対象が広がり、わが宗においては阿弥陀仏のことをいいます。

法は仏教の教えのことです。

お釈迦様が説いた八万四千の法門がそうであります。

僧はサンガのことで、仏教を信仰する教団のことです。

仏教を信仰する人は、出家であれ在家であれ、三宝に帰依するところから始まります。

古代インドの言葉では

「ブッダン サラナン ガッチャーミ

ダンマン サラナン ガッチャーミ

サンガン サラナン ガッチャーミ」

と言って、三宝帰依を表明します。

また漢文では、

「南無帰依仏両足尊

南無帰依法離欲尊

南無帰依僧衆中尊」

と称えて三宝に帰依をします。

聖徳太子は

「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」

として、十七条憲法において仏教に帰依をすることによって国をまとめようとしました。

わが西山浄土宗で特に中心としているお経である「観無量寿経」を解説した善導大師の「観経疏」の冒頭には、帰三宝偈と呼ばれる偈文が説かれています。

総本山光明寺86世法主堀本賢順上人は、観無量寿経の解説書である観経疏の総まとめがこの帰三宝偈であるので、観無量寿経は三宝に帰依することを説くお経であると説明されました。

仏教には八万四千という多くの教えがありますが、どの教えも三宝に通じるのであるというのです。

お念仏を説く宗派においても、仏法僧に帰依することで、心の安らぎが生まれてくるのであります。

また、浄土宗の恵谷隆戒先生は、三宝に帰依することは万物万象の根本法則に従って生きていくための精神をもつことであるといいました。

万物万象の根本法則とは、この世のすべては縁起の法則で成り立っており、諸行無常、諸法無我であるというこの世の真理であります。

私たちは自分の都合でものごとを見て、万物万象の法則に逆らって生きようとするので苦しみが生じるのです。

苦しみを生じさせたいためには、この世界の法則に従って生きていくことが大切であり、そのための精神が三宝に帰依することであるというのです。

そして、この三宝について恵谷先生はわかりやすく言葉を置き換えて説明してくれています。

仏に帰依するということは、明るく生きること。

法に帰依するということは、正しく生きること。

僧に帰依するということは、仲良く生きること。

明るく、正しく、仲良くが、仏教の根本精神であるというのであります。

なるほど、これほどわかりやすい説明は他にないと、感動いたしました。

日頃から苦しみの闇夜の中を歩いている私たちですが、そんな私を導いてくださる人が現れると、そこには希望の光が差し込みます。

仏さまの救いによって、明るい人生が開けてくるのであります。

そして仏教の教えは、悪いことをしない、いいことをする、他人の為になることをする、という三聚浄戒という3つの行いに極まります。

それはまさに、人として間違いを犯さないように正しく生きることそのものであるのです。

さらに私たちは、自分ひとりでは生きていくことができません。吸う息、吐く息、水の一滴でさえ自分の力で手に入れることができません。

多くの人にささえられ、助けられ、そうしてやっと生きることができるのであります。

他人の幸せが、そのまま自分の幸せにつながるのであります。

子どもの頃から言い続けられている、当たり前の言葉ですが、仲良くすることはとても大切なことなのであります。

ところが、明るく、正しく、仲良く生きることは、とても難しいのであります。

世界の情勢を見ていれば特にそれが感じられます。

今でもどこかで争いが起き、誰かが泣いているのです。

非人道的な行為が当たり前のように行われ、ケンカばかりしています。

これはとても悲しいことであります。

こんなご時世だからこそ、原点に返る必要があるのかもしれません。

明るく、正しく、仲良くという3つの精神を、改めて見つめ直すのであります。

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