『手を合わすとき心は静まりかえっていますか』
お寺へお参りをしたとき、どんな心持ちでお参りをしているでしょうか?
仏さま、ご先祖さまに対して感謝の思いを込める人もいれば、健康や平和、受験の合格などのお願いをする人もいるのではないでしょうか?
あるいは、何か嫌なことがあったからというので、心を静めるためにお寺にお参りに来るという人もいるでしょう。
お寺にお参りをして、仏さまに手を合わすとき、その数分、数秒のあいだくらいは、心静かに過ごしたいものであります。
坂村真民さんの詩に、「生きてゆく力がなくなるとき」という詩があります。
「生きてゆく力がなくなる時」
死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある
そんな時お寺を訪ね
わたしひとり
仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思う心が
出てくるまで坐ってくる
坂村真民
坂村真民さんは明治42年に生まれ、熊本で教員になったあと朝鮮へ渡って師範学校の教師となりました。
終戦後は朝鮮から引き揚げて愛媛県に移り住み、高校の教員として国語を教えておられました。
20歳から短歌を詠んでおりましたが、41歳からは詩を書くようになり、多くの作品を残されております。
そして平成18年、97歳でお亡くなりになりました。
生前、時宗の宗祖である一遍上人の生き方に共感し、敬愛しておられました。
午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活を送っていたといわれています。
こうしたこともあって、坂村真民さんの詩には、仏教を思い起こすような詩がたくさん残されているのであります。
「生きてゆく力がなくなった時」という詩も、そのひとつであります。
私たちは日常生活の中で、死にたいと言うわけではないけれども、生きてゆくのがつらく苦しいとかんじることがたくさんあります。
そんなとき、坂村真民さんは、お寺にお参りをして、生きる力がわいてくるまで坐っていたというのであります。
私も同じような経験をしたことがあります。
苦しいときに、いったん今やっていることの全部をやめて、ご本尊の前にすわります。
阿弥陀様と向かい合い、じっとそこに座ります。
するとだんだん、気持ちの整理が付き、イライラが無くなり、苦しみも薄れ、よし頑張ろうという気になるのであります。
心静かで安らかな状態の事を「三昧」といいます。
そして、念仏によってこの心が作られることを「念仏三昧」といいます。
念仏とは、心に仏さまの心を宿すことです。
お寺の本堂に座り、仏さまと向かい合うことで、自然と心の中に仏さまが入ってきてくださります。
心に仏さまが宿されると、自分の悩み苦しみのもとである煩悩が、仏さまの智慧によって上書きされるような、そんな感覚に至るのであります。
このようにして心が静まりかえって浄められたとき、生きている喜びが生まれてくるのであります。
生きてゆく力がないときほど、仏さまとの静かな時間を大切にするのであります。