お弁当を食べた息子の言葉に感動
地元の海水浴場に、小学生が遠足に来ていました。
ちょうどお昼どきで、みんな楽しそうにお弁当を食べているようでした。
その様子を見ながら、自分も同じ頃だったときのことを思い返しました。
学校を出て、日常を離れたその時間は、子どもながらにとても特別だったことを覚えています。
中でも、お弁当は遠足の一つの楽しみでもありました。
好き嫌いが多かった私は、あまり学校の給食が好きではありませんでした。
嫌いな食べ物をどのようにして飲み込もうか、そればかり考えていたように思います。
それ対してお弁当は、自分の好きなものしか入っていません。
からあげ、ミートボール、たまごやき・・・
ご飯にふりかけがかかっているのも、うれしいものでありました。
さらには、いつもと違う場所で食べるご飯は、格別です。
冷えたご飯がこんなにおいしいのはなぜだろうかと、今更ながら不思議に思うのであります。
そんなお弁当にまつわる話というのは、いろいろなところでよく聞きますが、その中から、作る人の苦労であったり、食べる人の心境であったり、お弁当をとおしてそれぞれの思いをうかがい知ることができます。
5月10日の産経新聞「朝晴れエッセー」に、こんなエッセーが投稿されていました。
『お弁当』
春休みも終わり、始業式を迎えた日の夕方、4年生の息子の通う小学校からメールがきた。本来なら明日から始まる給食が、事情により提供できず、当面の間、お弁当の用意をお願いしますという内容だった。
私はそれを職場で受け取った。近隣の小学校も同様で、同僚のママさんも困惑している。共働き家庭にとって、給食はなくてはならない救世主なのだ。
さて、困った。やっと春休みが終わって、お弁当作りから解放される!と喜んでいた直後の連絡。今日が最後と思って冷蔵庫には何もない。しぶしぶお弁当作りを続けた。
1週間ほどたったある日、職場で自分のスマホが鳴った。息子の名前が表示されている。あれ? 今日は習い事はないから、その教室への到着連絡も、お迎え催促の電話もないはずなのに、どうしたんだろう? もしや何らかの体調不良、はたまた不慮の事故かトラブルか…。慌てて出ると弾んだ息子の声がした。
「もしもし? 今日もお弁当、おいしかったよ」
息子からの予想外の感謝の意を突然受け、一瞬とまどい、次にホッとし、そしてじわじわとうれしさが込みあげてきた。しばらくスマホを離せなかった。
こちらこそ、おいしく食べてくれてありがとう。不本意で正直いやいや作っていたのに、こんなうれしいご褒美をもらえたなんて最高だ。学校には一日も早く再開してほしいけれど無理なら仕方ない。
さあ、明日からもお弁当だ。おかずは何にしようか。
滝本みゆき(53) 大阪府東大阪市
産経新聞 朝晴れエッセー
とても心温まるお話であります。
お弁当を作ることは、お母さんにとってとても大変で重労働です。
それでも、子どものためにといって、せっせせっせとお弁当をつくるのです。
ところが子どものほうはどうでしょうか。
当たり前のようにお弁当を食べて、帰ったらお弁当箱をお母さんに返すだけです。
そして、返ってきたお弁当箱を開けてみて、今日はぜんぶ食べたとか、何が残ってるとかを確認して、子どもの様子を確認するのであります。
どれだけ早起きして、苦労して、大変な思いをしてお弁当を作っているかなんて、子どもには知るよしもないのであります。
こうなると、お弁当の作りがいもないでありましょう。
ところが、このエッセーの息子さんは、お母さんに感謝の言葉を伝えました。
「もしもし? 今日もお弁当、おいしかったよ」
この言葉は、どれほどお母さんを笑顔にしたことでありましょう。
文章の中にも、お母さんの悦びがあふれるようにして伝わってくるのであります。
感謝の気持ちを伝えることは、ごく当たり前のようにいわれています。
何かしてもらったら「ありがとう」と言うことは、当然のことだと教えられています。
しかし、こんな些細なことが、実は大きな力を持っているのだということに気づかされました。
無量寿経の中に「愛語」という言葉があります。
相手を思いやる、優しい言葉のことをいいます。
たった一言でも、思いやりのある優しい言葉は、相手の心を大きく変えるほどの力を持っているのです。
それは、このお母さんのお話からもよくわかるでありましょう。
言葉の大切さを、改めて考えさせられるのであります。