法話

ドラえもんのどこでもドア

四無量心を、ドラえもんの「どこでもドア(anywherdoor)」と訳したいと、シュプナル法純さんはいいます。だれでも差別することなく、迎え入れることのできる仏の心は、どこでもドアに通じるものがあるからです。他者と接するときには大切な心です。
法話

豆腐の境地

「豆腐の境地は無我の境地に到達している」と俳人の荻原井泉水はいいます。煮ても焼いても、汁にしても餡をかけても、油で揚げても凍らしても、それぞれの味を出す豆腐は、まるで悟りきった達人の面影があります。お鍋の豆腐から、私たちの心をくらべてみます。
法話

禁欲は心を浄める

禁欲することは心を浄めることにつながります。お釈迦様は「 賢者は欲楽をすてて、無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ。」と教えて、戒を守ることを説きました。出家修行者であれ在家信者あれ、戒を守ることでよりよい人間へと変わることができるのです。
法話

感謝の心が自分を変える

感謝する心が自分を変えることにつながります。空手家の松久功さんは、感謝して「ありがとう」と言うことを続けたことで、試合で勝つという結果を残すことができました。お釈迦様は、感謝することが幸せになることを教えています。感謝の心は自分を変えるのです。
法話

仏の世界は近くにある

仏の世界は、実は近くにあるのかもしれません。花山法皇は紀三井寺を参拝し「ふるさとをはるばるここにきみいでらはなのみやこもちかくなるらん」と詠まれました。紀三井寺から望む景色をみて、そこから仏の世界を感じ取ったのであります。
法話

味わうということ

「味わう」ということは、「感動する」ということであります。映画やドラマを見るときに、早送りで見て内容だけ理解するという人が増えているといわれていますが、それでは少しさみしい気がいたします。一つ一つ大切に、心を動かして味わいたいものであります。
法話

風吹けば風吹くままに

新年といえば、おみくじであります。その年の運勢を占うものとして、毎年楽しみにしながらおみくじを引いています。今年はそこに「風吹けば風吹くままに港よしと百船千船うち集いつつ」と和歌が詠まれていました。味わいのある歌であります。
お寺の掲示板

お寺の掲示板『気に入らぬ風もあろうに柳かな』

お寺の掲示板『気に入らぬ風もあろうに柳かな』仙厓和尚は臨済宗の禅僧であり、画家でもあります。作品のひとつ『堪忍柳画賛』には、柳画風に吹かれてなびく様子を「堪え忍ぶ」心に例えられています。本当の堪え忍ぶ心とはどのようなものなのでしょうか。
法話

仏様はいつも見ている

仏様はいつも私たちのことを見ています。善導大師は「身常に仏を礼敬すれば、仏すなわち、これを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわち、これを知りたまう」として、つねに仏様と一緒にいることを説いています。これを意識して過ごすことが大切です。
法話

笑う門には福来たる

昔から「笑う門には福来たる」といいます。ニコニコした顔で愛想のよい言葉遣いをすることがあいおての心をなごませ、世の中を明るくします。周囲が明るくなれば、自分の心も明るくなることはいうまでもありません。仏教ではそれを「和顔施」といいます。
法話

除夜の鐘と煩悩

総持寺では毎年除夜の鐘を撞きます。108の煩悩をこれで打ち消し、心新たに新年を迎えるのです。実際、煩悩は108以上あり、これを打ち消すことはよういではありません。しかし、除夜の鐘の一つ一つの音が、心を浄めてくれるような思いがします。
法話

船旅とお念仏

お念仏の教えは、まるで船旅をするようなものであると説かれます。(水路の乗船)船で旅をすることは、いともたやすく簡単に目的地に着くことがあできます。それはあたかも、阿弥陀仏の力によって極楽浄土に往生するようなものです。船旅からお念仏の教えを味わいます。