見えないものを感じる力
科学が発達して、今までわからなかったものがだんだんとわかるようになってきました。
しかしこれはまた、科学で証明されないものは信じることができないという人間の心を生んでいるようにも思います。
イギリスの科学者であり物理学者でもあるファラデーは、電気化学の分野で貢献したことで知られています。
そのファラデーに関して、こんな話があります。
ある日、研究室に集まった学生に対して、一つの試験管を見せました。
「この中には何が入っていると思う?」
学生は首をかしげました。
「この中に入っている少量の液体、これは涙だ。ある学生の母親が私のところに相談に来て、息子のことで苦悩を打ちあけて泣いておられた。その時、机の上に流された涙がこれである」
そしてファラデーは学生に対して言いました。
「いいかい。この涙を分析すれば、若干の水分と何パーセントの塩分とでできているかということはすぐわかる。しかし、この涙の成分はそれだけであろうか。
いや、それだけではない。この中には、母親の深い苦悩と子供を思う尊い愛情が含まれている。これはどんな科学の力を持ってしても分析することはできない。科学を学ぶことは大切なことだが、物事はそれだけではない、ということを忘れてはいけない。
大事なことは、澄みきった心や温かい思いやりの心、そうした心の眼で正しく見ることを忘れたら、もはや人間ではない。医者である前に、まず血も涙もある、温かい心の人間であって欲しい」
科学の発達によって、今まで見えなかったものが見えるようになり、わからなかったものが証明されるようになりました。
そうなると、見えるものしか信じることができなくなってきます。
しかし、大切なものは見えないところにあります。
すなわち、心を大切にしなければいけません。
ひとつは他人の心です。
相手が何を考え、何を思っているのか考えなければいけません。
試験管に入った涙を見て、その涙の持ち主がどんな思いで涙を流したのかを想像する力を持たなければいけません。
ひとつは自分の心です。
他人との関わりの中で、自分が何を考え、何を思っているのかを知らなければいけません。
心は自分一人だけで動かすことはできません。
心を動かす出来事や対象があって初めて自分の心も動きます。
どんなに頑張ってもみることができない、お互いの心をしっかりと見つめることで、温かい人間の心が育まれていくのです。
そしてもうひとつ。
それは仏の心です。
仏心とはこれ大慈悲なり
無縁の慈をもって
衆生を摂取したもう
「仏説観無量寿経」
仏の心とは大きな慈悲の心です。
特定の人のみを救うのではなく、すべての人を救うという慈しみの心です。
この心によって、私たちは極楽浄土に生まれることができます。
人が生きていく上で尊いもの。
それが愛情であり、慈悲であり、また仏の心なのであります。