「もったいない」茶碗一杯の食料を毎日捨てている日本人

日本人は毎日茶碗一杯分の食料を捨てているといいます。写真はイメージ

「もったいない」茶碗一杯の食料を毎日捨てている日本人

まだ食べられるのに食べ物が捨てられてしまうことを、食品ロスといいます。

世界では生産されている食料の3分の1にあたる、13億トンもの食料が捨てられているといわれています。

日本においては、1年間に廃棄された食料が、2018年は600万トン、2019年は570万トンにのぼり、東京ドームの5杯分近くの量になるそうです。

これを国民一人あたりに換算すると、毎日茶碗1杯分の食料を捨てているということになるといいます。

事業者における食品ロスの主な原因は、食べ残しや売れ残り、規格外品など。家庭においては料理の作りすぎによる食べ残しや食材の買いすぎによる廃棄などであります。

これら食品ロスは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けて援助している食料の量よりも多いといわれています。

このような食品ロスの事情を知ると、とてももったいないことをしているということがわかります。

子どもの頃に、曹洞宗大本山永平寺の食事に関するテレビ番組を見ました。

食事も修行のひとつであり、食器(応量器)の扱い方ひとつとっても細かい作法があります。

肉も魚もなく、野菜ばかりの、いわゆる精進料理であり、朝ご飯に関していえば質素なおかゆであります。

食べ物を食べるときでさえ休むこともできないことを知って、衝撃を受けたことを覚えています。

その番組の中で、食材は何一つとして捨てる部分がないことが説明されていました。

大根の皮もにんじんの皮もそのままです。

普通なら捨てるであろうピーマンの種も、油で揚げて天ぷらにして食べます。

いつもゴミ箱で見るような野菜の破片も、おいしそうな料理になって登場します。

同じ物を食べたいと母親にせがんで、面倒だからと断られたときには、そんな面倒くさいことをお寺の修行でやっているのだと、重ねて感動いたしました。

ある禅宗の和尚さんが、「食事は食べるのではなく、いただくものだ」と言っておられました。

野菜の命をいただいて、自分の命に変えさせてもらっているのです。

こういったことを思うと、普段の食事も大切に食べなければいけないとつくづく感じるのであります。

先日、東洋経済オンラインに、ジャーナリストの池上彰さんの食品ロスに関する記事が掲載されていました。

その中で池上さんは「食品ロスは単なるもったいないだけではない」といいます。

「食料を捨てることは、つまり「その食料を育てるための土地や水の無駄づかいをした」ということ。そして、水分を含む食品なら、車で運んだり焼却したりする際に、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を生み出すことにもなります」

食品ロスが、地球の環境破壊につながるということを指摘しているのであります。

正直、私はそこまで気にしたことがありませんでした。

食べきることができずに、もったいないと思いながら食品を捨てたことは何度もありますが、もったいないですませてしまっていました。

ところが、これが環境破壊になるのです。

さらに私が気になったのは、食品を捨てることは、「その食料を育てるための土地や水の無駄づかいをした」ことになるということであります。

思えば、一粒のお米が私の口の中に入るためにも、自然の恵みがあり、そして多くの人の苦労があります。

これを捨てるということは、米を作るために使った水や太陽の光などの自然の恵みを捨てることであり、携わった人の時間を無駄にするということになるというのであります。

仏教には「縁」という言葉があります。

すべての事象は関係していて、そのつながりの中で存在しているのであります。

つまり、おかげさまの中で生かされているのであります。

見ず知らずの人ともどこかで何かしらの縁でつながっていて、そのおかげで生かされているのです。

それは反対から見れば、私の行いも、どこかで誰かに影響を与えているということでもあります。

自分が作ったお米や野菜、あるいは料理が、どこかで捨てられているということを知ると、どんな気持ちになるでしょうか。

せっかく作ったのにと、それまでの時間がまるで無駄だったかのようにも思ってしまうかもしれません。

そんなことを私たちは、毎日やってしまっているのだということに気がつかされたのであります。

食事の時に称える偈文で「五観」というものがあります。

そのひとつに「こう多少たしょうはか来処らいしょはかる」とあります。

今目の前にある食事が、どれほど多くの人の苦労と手間がかかっているかということを思い、またこの食事がどこからどのようにしてもたらされたかということをよく理解しなさいということです。

これのことをよく理解すると、食事に対する見方も変わってくるのでありましょう。

単なる「もったいない」だけでは済まさずに、しっかりと考えていかなければいけないと思うのであります。

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