「冷暖自知」自分で実践して体感することの大切さ
長かった夏がようやく終わったと思えば、一気に寒くなってきました。
寒暖の差が激しくなってくると、体調も崩しやすいもの。気をつけていきたいものです。
先日、あるお宅へお参りに行ったときのことです。
お勤めが終ってふりかえると、「どうぞ」とお茶を出してくださいました。
「ありがとうございます」と言って湯飲みを手に取り、何気なしに口へと運びました。
そして一気に飲んだ瞬間、あまりの熱さに思わず驚いてしまいました。
きっと、寒くなったので気を使って熱いお茶を用意してくださったのでしょう。
しかしそれに気づかず、冷たいものだとばかり思って飲んでしまったのです。
口の中はしばらくの間ピリピリとした痛さが残っていました。
「冷暖自知」という言葉があります。
『景徳傳燈録』の蒙山道明禅師の章にある禅語です。
「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」
人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知ります。
そのように、仏の悟りも自ら体験して気づくことができるというのです。
現代の社会は、情報であふれています。
ネットで検索すれば、簡単にありとあらゆる情報を入手することができます。
しかし、それだけで知った気になっているのが今の私たちではないでしょうか。
子どもの頃、学校の授業で奈良東大寺の大仏のことを学びました。
教科書には写真が載っているので、どんなお姿をしているかは写真を見ればわかります。
天平勝宝4年(752)に完成し、高さは15メートルにも及ぶ大きな仏像であることも教わりました。
ところが、いざ修学旅行で東大寺に行ってみると、予想以上の大迫力で目を奪われました。
15メートルがこれほどまでに大きいのかと驚き、しばらくその場で立ちすくんでしまったことを、今でも覚えています。
百聞は一見にしかずといいますが、他人から聞いて教わるよりも、自分の目で見て、肌で感じ、体感することが大切さを思い知らされた気がしました。
仏教は、「仏道」ともいうように、生き方を教えているのです。
お釈迦様は、この世の真理を悟られました。
同時に、その真理に対して自分がどのように生きていくべきかを見つけ、実践していきました。
「この世は苦しみである」「この世は無常である」と語るだけでなく、それに対応して自分の心を変えていく努力をし続けたのです。
仏典を読んで、内容を理解するだけではなく、自ら実践し、その道を歩み続けるところに、本当の仏の教えがあらわれてくるのだと思います。