「しあわせ運べるように」阪神淡路大震災30年に思いをよせて

「しあわせ運べるように」阪神淡路大震災30年に思いをよせて

平成7年1月17日、午前5時46分、兵庫県南部、深さ16キロを震源とするマグニチュード7.3の巨大地震が発生しました。

震源に近い神戸市を中心に近畿圏内で大きな被害をもたらし、犠牲者は6,434人にものぼりました。

発生時刻が早朝ということもあり、これから朝食の準備をするために火を使っていたり、ストーブなどを点けていた人が多く、そのため各地で火災が発生してしまいました。

住宅地が密集しており、また地震の混乱の中ということもあって、なかなか消火活動は進まなかったそうです。

結果、火災はみるみるうちに広がってしまい、消防隊員でも手のつけようがない状態だったといわれています。

また木造家屋が多く、亡くなった人の多くがその倒壊によって押しつぶされたといわれています。

当時としては戦後最悪の自然災害だったと伝えられています。

この震災を機にできた歌があります。

しあわせ運べるように(神戸オリジナルバージョン)
                         作詞・作曲  臼井 真

一、
地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

二、
地震にも 負けない 強い絆(きずな)をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

作者である臼井真さんは当時、神戸市内の小学校で音楽の先生として勤めていました。

震災によって自宅が全壊し、親戚の家で身を寄せました。

震災から2週間後、生まれ育った街の変わり果てた様子をテレビのニュースで見て衝撃を受けて、この曲を作ったそうです。

その後、神戸市の小学校や、1月17日の追悼式典でも歌われるようになりました。

さらに、新潟中越地震、東日本大震災などでも歌われ、また世界各地でも歌われています。

神戸の再生を再生を願う復興の歌として作られたこの歌が、鎮魂と希望を込めた心の歌として、神戸から全国へ、そして世界へと広まっていったのであります。

臼井さんは

「音楽を通してやさしさや人の心の痛みがわかる子、目に見えないものの美しさがわかる子になってほしい」

と語っています。

当時の出来事に思いを寄せて、そこで感じた思いを胸に、生きる力に変えていく。

受け伝えていくことの本当の意味を、改めて考えさせられます。

自分に今何ができるのか。

頂いた命を、与えられた今を、精一杯生きぬいていく以外にないのではないのではないでしょうか。

阪神淡路大震災から、ちょうど30年の節目の年であります。

自分のあり方を考える年にしたいものです。