色形円光大師像(しきぎょうえんこうだいし)

総持寺にお祀りされている「色形円光大師像」。亡くなってから16年後、火葬する直前の姿という世にも稀な尊像です。

色形円光大師

当寺には「色形円光大師像(しきぎょうえんこうだいし)」といわれる、とても珍しい像がお祀りされています。

これは、法然上人の亡きあとのお姿を、弟子たちで作り上げた像だと伝えられています。

色形円光大師像の縁起

法然上人は建暦2年(1212)1月25日に亡くなりました。

その後、上人の御遺骸は、東山吉水の地に埋葬されました。

ところが、それからおよそ15年経った嘉禄3年(1227)、全国的にお念仏の信仰が広まっていってたことを快く思わない他宗の僧侶からの弾圧に会います。

そしていよいよ「法然上人の御遺骸を鴨川に流す」という企みが発覚しました。

法然上人の弟子たちはこれを阻止するために、御遺骸を安全なところに運ぼうと、東山から嵯峨野へ、そして太秦へとひそかに移しました。

ところが、上人に対する執念の恨みはとどまることもなく、このままでは守り切るのも困難であるから、火葬して埋葬しようということになりました。

さて、どこで火葬してご遺骨を納めるかということになり相談した結果、西山の粟生野へと言うことになりました。

この粟生野という地は、現在の総本山光明寺があるところで、法然上人が初めてお念仏の教えを説いたところと伝えられています。

 

上人が亡くなってから16年の歳月が過ぎましたが、ここで改めて亡骸を拝み、最後の別れをしたいとの思いから、弟子たちは棺桶の蓋を開けました。

一重、二重と開くごとに異香芬々として、芳しいとてもいい香りが広がります。

さらに光明がちらちらと漏れ出てくるような奇瑞に動かされながら、最後の蓋を開けました。

するとどうでしょう。

なんとも尊く、なんとも不思議なことに、亡くなった当時のお姿そのままに「色も形も」全く変わることなく、その場に座っておられたのです。

弟子たちはこの様子に感激し、涙で袖を濡らしました。

そして、この時のお姿を一刻み一刻みと刻み上げ、これに「色形大師」と名付けて讃え祀りました。

 

その後この像は、関東は信濃の国の康楽寺でお祀りされていましたが、不思議なご縁があって紀州の若山田井甚兵衛という人のもとへと渡りました。

そこで毎日、朝な夕なに念仏してご供養していましたが、夢のお告げによって当寺に移し、お祀りすることになりました。

これが安永3年(1774)4月のことでした。

 

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