あなたのため
「あなたのためにしてるのよ」
「あなたのためを思って言ってるのだ」
子どもに対して、あるいは仕事の部下や光背に対して、ついつい言ってしまいがちな言葉であります。
さて、この言葉は、本当に「あなたのため」になっているのでしょうか?
お釈迦様は、他者を教えさとす前に、まずは自分自身を正しく整えて、自分自身の能力を向上させることを説かれています。
まずは初めに自分自身を正しく整えよ。
その後で、他者を教えさとせ。
そうすれば賢者は、
汚れに染まることがない。
『ダンマパダ』158
仏教には「自利」と「利他」という言葉があります。
「自利」は自分自身の悟りのために修行し、精神を向上させること。
「利他」は他人の救済のために働くこと。
仏教はよく利他主義であるといわれます。
他人のために一生懸命に働くことが、仏教の、あるいは仏の行いであると説くことが多いように思います。
しかし、その前にまず大事なのは「自利」であり、自分自身の向上であります。
お釈迦様の言葉の通り、まず自分自身を正しく整え、その後で他者を教えさとすように努めなければいけません。
昔から、「善人ほど悪を働く」といいます。
普通ならば、善人は善を働き、悪を働くのは悪人であると考えます。
しかし、世の中はそんな単純じゃないのかもしれません。
善人は、善を働こうとします。
善人ほど「他人のために」といって世話を焼こうとします。
しかし、それは実は他人のためにならず、かえって迷惑になっている場合があります。
逆の立場になって考えてみましょう。
「あなたのために」と言って余計なお世話をかけたり、かけられたりしたことはないでしょうか?
「あなたのためにやってるのよ」
「あなたのためを思って言ってるのだ」
「あなたのため」はとても大切な心です。しかし、それが相手に対して迷惑になっていることに気がついていないのです。
例えば、子どもに対して「お片付けをしなさい」と厳しく言いつけても、それを言っている親のほうが片づけをしていなければ、子どもにその言葉の効き目があるでしょうか?
「お母さんも片づけしていないのに、なんで自分はしなければいけないの?」と疑問に思うのではないでしょうか?
「あなたのために」と思って行動していることでも、そこに間違った考え方が伴っていると、自分も相手も道連れに悪いほうへと落ちていってしまいます。
このように、「自分はいいことをしている」と思っている人ほど、自分の心を省みて注意して行動しなければいけません。善いことをしていると自分で思っている人ほど、他人に悪を働いている危険があるのです。
これが、「善人ほど悪を働く」ことなのです。
利己的に自分勝手に生きましょうと言っているわけではありません。
他人を利することは大切ですが、「他人のため」がかえって悪になることがあるので気をつけましょう、ということです。
じゃあどうすればいいのか。
それは、「自分が」という「我」を捨てて行動することです。
「あなたのために」してあげるのも、考えてあげるのも、「『自分が』あなたのためにしたい」のであれば、その思いは捨てなければいけません。
自分がしたいのではなく、相手がしてほしいことを見極めないといけないのです。
言い換えれば、「あなたのため」といいながら、全部自分の都合を相手におしつけてはいないか、ということを考えなければいけません。
こういった「我」を持っていることが、苦しみを生み出しているのです。
お釈迦様は、自分自身の精神と能力を極限まで向上させ、悟りを開きました。
そして今度は、そこで身に付けた体験を人々に伝えていったのです。
逆に言えば、お釈迦様ができないことは話していないし、わからないものはわからないと明言しています。
まず初めに、自分自身の心に湧き起こる煩悩から自分自身を制御して、しっかりと正しく整えるようにしましょう。