「啐啄同時」絶好のタイミング
禅のことばで「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉があります。
「啐」は、ひな鳥が卵の中から殻をつついて出てくる様子。
「啄」は、ひな鳥が殻をつついて音を立てたとき、それを手助けするために親鳥が外から卵の殻をつつく様子。
ひな鳥の外へ出ようとする力と、親鳥の手助けする力が相まって、ひな鳥は外の世界に出てくることができるのです。
このことから、またとない絶好の機会をいうときに使われる言葉です。
これは、『碧巌録』という禅の書物の中に登場します。
ある僧侶が、師匠に対してこのように言いました。
「私は修行によって内側から殻をつつき、もうすぐ悟りの領域に到達いたします。どうかこの殻を外からつつき、悟りへと導いてください」
すると師匠は言いました。
「そうすれば、生きていくことができるのか?」
僧侶は言いました。
「もし生きることができなければ、人の笑いものにされます」
これを聞いて師匠は
「たわけ者!」
と一喝したといいます。
禅の問答なので、これに対する受け取り方は人それぞれでありましょう。
そのうえで、ものごとにはすべてタイミングがあることを教えてくれているように思います。
「もうすぐ自分は悟りの領域に到達する」と考えている僧侶に対し、師匠は「たわけ者」と一蹴します。
おまえはまだその領域に達していない、うぬぼれるのではないのだということを伝えているのです。
ひな鳥が未成熟のまま卵から孵ってしまうと、生きていくことはできません。
親鳥はきちんとそのタイミングを見計らって、外から手助けをするのであります。
ある少年が、大学受験をしたときのことです。
子どものころからの夢を叶えるために、どうしても行きたい大学がありました。
しかし、努力むなしくもその大学に合格することができませんでした。
悔しくて落ち込んでいたときに、先生からこのように言われました。
「おまえに実力がなかったのじゃない。まだそのタイミングじゃなかっただけだ」
そして、この時に「啐啄同時」という言葉を教わったそうです。
「ひな鳥が卵から孵るときに親鳥の手助けがあるように、大学に行くのも、人が成長するのも、必ず誰かの手助けがあるもの。いつか必ずその時がくるから、諦めずにがんばりなさい」
少年はこの言葉を信じ、浪人して1年がんばったことで、みごと志望校への合格を果たしたのでありました。
「今じゃなければいけない」「今こそ絶好のタイミングだ」と思うことがあります。
しかし、これは自分を中心にした見方であります。
自分中心にものごとを見ていると、思い通りにならなかったときに苦しみが生じてしまいます。
しかし、自然の流れに身をまかせ、縁にしたがって生活をしていると、すべてその時その時が絶好のタイミングとなるのです。
焦ることなく、今自分がすべきことを、一生懸命に続けて行くことが大切なのでありましょう。