「あるべきようは」
和歌山県の有田川町で生まれた明恵上人は、華厳宗の中興の祖ともいわれている、鎌倉時代に活躍した僧侶です。
京都の神護寺で出家をし、仏道に励みました。
幼い頃から仏道を求める志はものすごく高く、周りからも一目置かれるような存在だったそうです。
なかでも、お釈迦様を心から慕って本来のあるべき仏道を求めるあまり、自分の耳を切り落としたというエピソードは強烈で有名であります。
そんな明恵上人の言葉を弟子が書き残した「明恵上人御遺訓抄出」には、仏道修行に励む人が持つべき志が多く記されています。
その冒頭には
「人は、あるべきようはと云、七文字をたもつべき也、云々」
とあります。
僧侶には僧侶としての「あるべき姿」
俗世に生きる人には俗世に生きる人としての「あるべき姿」
貴族には貴族としての「あるべき姿」
臣下には臣下としての「あるべき姿」があります。
この「あるべき姿」に反するからこそ、あらゆる悪が生じるというのです。
そして、一切の欲求を捨て去り、無欲無心の「ただの者」に立ち戻りなさいといいます。
それは、たとえばお腹がへれば食べ物を食べ、寒くなれば服を着るように、自然の流れに身をまかせ、あるがままの姿で過ごしなさいと説いているのです。
仏道修行というと、とても難しく、特別なことだというように見えますが、実はそうではない。
お釈迦様も、なにか特別なことをしたわけではなく、人として、あるいは仏として本来あるべき行動をしたにすぎないのです。
それは、自分自身の身の程をわきまえ、ただ今自分がやるべきことをやっていくことではないでしょうか。
お釈迦様は、今自分にとって何が利益になり、他人にとって利益になるかを考え、ただその行動をとっていたのです。
それが、人としてあるべき本当の姿であり、仏になるための修行の道なのであります。
他者との関わりの中でしか生きていくことができない私が、そのなかでどのような行動をしていくべきなのか。
身の程をわきまえて、今やるべきことを一生懸命にやっていく。
自分のあるべき姿を、あらためて考えさせられます。