「家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです」
ハリウッドの名女優、永遠のスターであるオードリー・ヘップバーン。
彼女は1929年5月4日、イギリス人のビジネスマンである父とオランダの貴族出身だった母との間に生まれました。
1939年にオランダへと移り住みましたが、第二次世界大戦が始まり、苦しい生活を送ることになりました。
食糧不足、燃料不足は深刻になり、1944年にオランダで大飢饉が起こったときには支援物資も届かず、飢えと寒さによって亡くなってしまう人がたくさんいたそうです。
オードリーも、チューリップの球根を食べて飢えをしのぐというような状況で、栄養失調や貧血の状態でひどく痩せてしまっていました。
ユニセフの前身である連合国救済復興機関(UNRRA)から届いた支援によって、彼女の健康は回復しましたが、はじめは配給されたオートミールやコンデンスミルクさえ、体が受け付けないような状態になっていたといわれています。
そんなオードリーはのちにこのような言葉を残しています。
もちろん、私たちはすべてを失いました。家も、持ち物も、お金も。
でも、少しも悲しくはありませんでした。
家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです
戦争を経験し、まともに食べることができず、本当の意味で死にそうな思いをしながら、それでも生きぬいてきた彼女のこの言葉には、よりいっそうの重みを感じます。
第二次世界大戦が終ってから80年になりますが、それでも未だに世界のあちこちで戦争や紛争が行われています。
家族を亡くし、離ればなれになり、寂しい思いをしている人はたくさんいるのです。
そんな中にあって、自分のおかれている環境を改めて見てみたときに、なんとありがたいことでありましょうか。
オードリーは女優を引退した後、晩年はユニセフ親善大使として貧困の子どもたちを救う活動に従事しました。
エチオピア、スーダン、エリトリア、ソマリア、ケニア、バングラデシュ、中南米、インド、ベトナム、タイなど、多くの国を訪問し、多くの子どもたちを助けるために命をかけて活動したのです。
彼女がその活動に取り組む背景には、きっと子どものころの戦争の経験があったからではないかと思います。
「家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです」
そこで「ありがたかった」で終るのではなく、その喜びを今度は多くの人を助ける力に変えていったところに、人としての本当のあり方を見せられたような気がします。
自分がこうして生きている、家族が無事に生きている、友達や大切な人が生きている。
これほどありがたいことはない。
もう一度、その減点に立帰って考えていきたいと思います。