法話

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シロクマのことは考えないでください

「シロクマのことは考えないでください」と言われると、ついつい考えてしまうのが人間。そのように、やってはいけないことをやって罪を作り苦しんでいるのが人間です。見よと言われりゃ見たがらず見るなといえば、なお見たい。天の邪鬼な自分である自覚が大切です。
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無一物となった者は、苦悩に追われることがない

無一物となった者は、苦悩に追われることがない。これはお釈迦様の言葉です。人間はモノを手に入れるとそれに執着し、自ら苦しんでいます。また次、また次といって、際限がないのが人間の煩悩です。これらの煩悩を手放すことによって、真の心の安楽がおとずれるのです。
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春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん

「春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん」弘法大師空海のことばです。春に種をまいたからこそ、秋に実りを獲ることができるのです。人も同じで何か結果を得たいならば行動しなければいけません。これを菩提心といいます。本当の菩提心とはどんなものでしょうか。
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誰が電気をつけたのか?

誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。
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あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである

「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである」ラ・ロシュフコーのことば。贈り物は人と人をつなぐ大切なツールです。もらったときには急がずに、じっくり相手のことを考えてお返しすることが大切なのではないでしょうか。
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稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ

稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
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「冷暖自知」自分で実践して体感することの大切さ

「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
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山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ

山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ。「雲」という詩はとても味わい深いものがあります。山村暮鳥は「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」といいました。自分を省みてかざらない生き方こそ、本当にいい生き方なのかもしれません。
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獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し

「獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し」獅子のような偉大な存在でも体の中の小さな虫によってその身を滅ぼされる。そのように、人間は煩悩によって自分自身を苦しめているのです。整えるべきは自分の心であります。
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美しいものを見るためには目が美しくなければならない

「美しいものを見るためには目が美しくなければならない」フランスの哲学者ガストン・バシュラールのことばです。世界がどう見えるかは、世界をどのように見るかと一つです。清らかな心で世界を見れば、清らかな世界がおのずと広がっていくのです。
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「人」にはなるな「人間」になれ

「人」にはなるな「人間」になれ。人は人として生まれ、人と人との間に挟まれて、いいも悪いも経験して「人間」に成長していきます。人間になりきれなかった人のことを「間抜け」というのです。間抜けにならないように、気をつけていくようにしましょう。
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「啐啄同時」絶好のタイミング

「啐啄同時」とは、ひな鳥が卵の殻をつついて出てくるのと、親鳥がそれを外から手助けするのが同時であり、転じて絶好のタイミングを意味する言葉です。自然の流れに従ってものごとを見ていると、その時その時がすべて絶好のタイミングとなるのです。