喉仏とは?分骨して大切にされる理由

大切な家族がなくなってお葬式が終わると、ご遺体は荼毘に付され、あとに残されたご遺骨は壺に入れて持って帰ります。
経験がある方もおられるでしょうが、火葬場でお骨上げ(収骨)をする時、「これはどこどこの骨です」と説明を受けながら、ご遺族が自身の手で拾い上げていきます。
その時に最後に拾うのが「喉仏(のどぼとけ)」です。
そして、喉仏は他のお骨とは分けて、小さな壺に入れて大切に保管することになります。
ところで、「喉仏」とは何なのでしょうか。これだけを特別に扱うことに、どんな理由があるのでしょうか。
ここでは、喉仏について解説します。

喉仏を大切に扱う理由

喉仏のお骨がどんな形をしているかご存知ですか?喉仏を大切に扱う理由は、その形にあるのです。

喉仏の模型 写真:仙台保健福祉専門学校HP

この写真は喉仏の模型です。なんとも不思議な形をしています。

よく見てみると、仏様が合掌して座っているように見えないでしょうか?

あるいは、座禅を組んで座っている仏様の姿に見えないでしょうか。 

そうです。これが喉仏といわれるゆえんなのです。

 

私たちはいつも仏様に守られて生きています。しかし、忙しい日常生活の中ではなかなかそのことに気づくことができません。そして、気づくことなく死んでいってしまいます。

大切な人が死に、悲しみに暮れる中で行う「お骨上げ」。足、腰、腕、頭と順番にお骨を拾っていきます。そして、たくさんあるお骨の中から「喉仏」があらわれて出てきます。

そこでようやく、「仏様が守ってくれていたんだ」ということに気がつくのです。

亡き故人を思うと、いろんな出来事がよみがえってくるでしょう。楽しかったことや、うれしかったこと、幸せに感じたこと。またその反対に、悲しいことやつらい出来事もあったでしょう。しかし、それも亡き人との大切な思い出です。

体は火葬してお骨となってしまいますが、思い出はいつまでたっても変わらず心の中に残っていることでしょう。

故人と大切な時間を過ごし、たくさんの思い出を共有することができたのは、他でもない、仏様のお計らいです。仏様の力によって出会うことができて、仏様の力によって楽しい時間も悲しい時間も作ることができるのです。

その仏様が、「喉仏」として目の前に現れて出てくるのです。今まで気がつかなかった仏様の存在に、そこで気づくことができるのです。

そして故人だけじゃない、他の人の中にも「喉仏」という姿で存在し、同じように自分の中にも存在している。この世には無数の仏様が存在していて、仏様に囲まれて、仏様のおかげで生活することができるのです。

 

このように、「人の体の中にも仏様がいる」ということを意味するためにも、喉仏は特に大切なものとして考えられているのです。

喉仏を分骨する理由

お骨上げの時には、体全体のお骨は大きな壺に入れ、喉仏は小さな壺もしくはケースに入れて、持ち帰ります。

そして、大きな方の全体のお骨が入った壺は、およそ満中陰を目途にお墓やお寺の納骨堂などへ納骨をします。

喉仏のほうは、お仏壇などにしばらくお祀りします。全体のお骨とは分けて扱うので、「分骨(ぶんこつ)」といいます。

お骨上げをする時に分骨をする理由は、亡き人を手元に置いておいて、近くで供養したいからだといわれています。

近年では、遺骨をペンダントなどのアクセサリーに納めておいておく「手元供養」というものを聞きますが、形は違えど気持ちは同じなのでしょう。

分骨した喉仏は、3回忌から7回忌を目途に(もっと長い期間、家でお祀りしていても問題ありません)、総本山や縁のあるお寺に納めます。

喉仏の正体

「喉仏」というと、男性の思春期の頃に発達して喉の下に出てくる突起物のことをいいます。

しかし、お骨上げの時に拾う喉仏は、この喉仏ではないのです。

 

どういうことかというと、喉の下にある突起物の、いわゆる一般的に喉仏は、「甲状軟骨」という軟骨です。軟骨は、火葬の時には焼けてしまうので、後には残りません。

では何を拾っているのかというと、首の下から腰まで続いている背骨の、上から2番目のお骨を「喉仏」として拾っているのです。

本当は喉仏と違うものを、喉仏と言って大切に扱うのはなんだか変な気分がしますね。

しかし、大事なのは本物かどうかじゃないのです。その人の中には仏様がいた、仏様に守られていたんだという思いが大事なのです。

最後に

「納骨」や「分骨」を、たんなる「習慣」としていませんか?

「親がそうだったから」「昔からやってきたことだから」では、少し寂しい思いがします。

葬儀から火葬、そして納骨まで、仏事というものは故人を偲ぶことで、自分自身を振り返るとても大切な儀式です。

いつも仏様が「喉仏」という姿に変えて私の中にいて、いつも守ってくれているということを思いながら過ごすようにしましょう。