芸能人の自殺から思うこと

芸能人の自殺報道は社会的影響が大きい。自分はどうすればいいのか・・・ 写真:ぱくたそ

最近、芸能人の自殺が目立つようになりました。亡くなられた皆様、ご関係の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
こういうニュースを見ていると、私にはどうしても他人事のようには思いません。いろんなことを考えさせられます。

自殺報道が与える影響

今年に入って、特に芸能人の自殺に対するニュースが目立つようになりました。20代、30代、40代と年齢は違うとはいえ、日本の平均寿命のことを考えるとまだまだ人生これからという世代の方が、自ら命を絶つという道を選んでいます。

実は自殺のニュースやお知らせについては、十分気をつけなければいけません。
以前から芸能人の自殺に関する報道は「子どもや若者の自殺を誘発する可能性」があるとされており、厚生労働省も報道の際にはWHO の『自殺報道ガイドライン』を踏まえた報道の徹底を呼び掛けています。

厚生労働省のホームページはこちらから

これには、ウェルテル効果と呼ばれる現象が発生するとされています。これは、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』から由来しています。
主人公のウェルテルが、物語のラストに自殺をするのですが、これに影響を受けて当時の若者たちがウェルテルと同じ方法で自殺をしたことから名づけられました。

日本でも過去に、芸能人が自殺をしたことをきっかけにファンが後追い自殺をするという事態が発生しました。

このように、芸能人の自殺のニュースが報道されることは、社会的に大きな影響を与えているのです。

報道に対するコメントに疑問

こういう悲しいニュースが報道されると、芸能人一般人問わずテレビ番組やSNSでコメントが発信されます。

そのコメントは、私にとっては少し違和感があるように思います。どういうコメントを見かけるかというと、「まだ若い」「もったいない」「幸せに見えた」「子どもが生まれたばかり」などです。

率直に言うと、まだ若かろうが、この先長いのにもったいないとか、第三者から見て幸せに見えたとか、子どもが生まれたばかりだとか、そんなのは悩んでる本人としては「だから何?」という、慰めの言葉にもならないし、むしろそれが本人を苦しめていた事かもしれないと思うのです。

何が言いたいかと言うと、仕事や家庭、人間関係を詮索したところで、何の解決にも至らないし、場合によっては家族や関係の人を苦しめることになるのじゃないかということです。

さらには、こうした安易な報道やSNSにおけるコメントは、悩んでいる人を刺激して自殺を助長させる危険があるともいわれています。

今はただ静かに見守ることのほうが、故人や家族のためになるのではないでしょうか

悩みは話せるうちに話すこと

報道に際して、簡単に「悩んだときは連絡を」と言いますが、連絡できる人はまだ大丈夫だと思っています。もちろんそれは、「連絡できる悩んでいる人」をないがしろにするわけではありません。しかし本当に助けが必要な人は「連絡できない人」ではないでしょうか。

例えば、たとえ第三者でさえ言いたくない悩みを持っている人もいます。誰かに言って吐き出せばラクになることをわかっていながらも、なかなか行動に移せない人がいます。「話を聞くよ」と言っても「大丈夫」という人がいます。

私自身もどちらかといえば、悩みは抱え込むほうで、あまり他人に相談することはありません。「いつでも相談に乗るよ」と言われても「ありがとう」と返すだけで、相談したためしはほとんどないでしょう。
ありがたいことに、私の悩みは今のところ精神的に異常をきたすところまでは来ていませんが、カッターナイフを手首に当てるところまでした過去を踏まえると、ひとつ加減を間違えると自分の命を絶つところまで手を出してしまうかもしれません。

悩みが人それぞれ違うように、その解決方法や悩みに対する考え方も人それぞれです。悩みをすぐに打ち明けることができる人もいれば、打ち明けられない人もいます。
悩みを打ち明けられない人こそ、本当に助けが必要な人だと感じています。

「悩んだら相談する」ことは大事です。他人に話を聞いてもらうことで、気持ちを落ち着かせることができます。
もっと大事なのは「すぐに相談」することです。時間がたてばたつほど、言いにくくなっていきます。

悩みが話せなくなる前に、どんな小さなことでもいいので相談して下さい。

日本いのちの電話連盟 
フリーダイヤル 0120-783-556

仏教的に見て考える

仏教的に見て、これから私たちはどうしていけばいいでしょうか。

少し仏教的な内容になるので、ここから先は興味のある人のみご覧ください。

総持寺の本尊。阿弥陀如来。

総本山光明寺の第69世関本諦承上人は、こんな言葉を残されています。

みなさん信仰持ちなされ

信仰なしに生きられぬ

心に深く弥陀仏の

慈悲の光を持ちなされ

信仰とは、心のよりどころのことです。苦しい時や悩んだとき、それを受け入れ、または乗り越えていくことのできる心のよりどころとなるものを持ちましょうということです。

これは何でもいいのです。

「お父さん」「お母さん」「夫」「妻」「息子」「娘」「家族」「ペットの犬」「飼っている金魚」「子どものころから大切にしている宝物」「本」

・・・・・・

この人さえいたら自分は何があっても大丈夫。
これがあるから頑張れる。
これさえあれば乗り越えられる。

そういうものを、普段から持っておくことが大事です。悩んだときに慌てて探そうと思っても見つかりません。心が普通の時に、普段から意識しておくことが必要です。

ところが、そのよりどころとなるものが人や物だった場合、例えば「家族」をよりどころにしていても、いつか別れが来るし、物だったら壊れたりなくす場合もあります。つまり、心のよりどころがなくなってしまう場合があるということです。

そこで、神や仏という絶対的な存在をよりどころとすることで、悩み苦しい世界を生き抜いていこうとするのが信仰です。

ここから阿弥陀仏を信仰することをすすめるのが西山浄土宗ですが、この記事ではそこまでは言いません。
神仏にしろ人にしろ物にしろ、「これさえあれば大丈夫!」というものを普段から持つようにしましょう。