人はなぜ他人のことが気になるのか?

人はなぜ他人のことが気になるのか?

「夫が食べた食器を片づけてくれない」

「上司の話し声が気になって集中できない」

「食事マナーがなっていない」

「芸能人が不倫をした」

などなど、他人のすることなすことが気なって仕方がないことってありますよね?

そして、他人のすることが気になって気になって、だんだんそれがストレスに変わっていくのです。

なんで他人のことがこんなに気になるのでしょうか?

お釈迦様はこんな言葉を残しています。

他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。

人は他人の過失を籾殻もみがらのように吹き散らす。

しかし、自分の過失は隠してしまう。

狡猾こうかつ賭博師とばくしが不利なさいの目をかくしてしまうように。

ダンマパダ252

自分自身の心はなかなか見えないのに、他人のやることなすことはすぐ目についてしまいます。

「あの人がまたサボって遊んでいる」とか「あの人のマナーが悪くて見ていられない」とか。

私がよく気になるのは、芸能人の不祥事です。

「あの人が不倫をした」「テレビでこんな発言をした」とか言って、よくバッシングを受けています。

芸能人なんて、どれだけ有名であっても所詮は赤の他人です。

その見ず知らずの赤の他人に対して、みんなしてよくもまああれだけ意見したり批判したり、言いたいこと言えるなあと、ある意味で感心してしまいます。

芸能人の不祥事の報道を見ていると、どれだけ人は他人のやっていることが気になっているのかがわかります。

他人のことが気になる背景には、その人がうらやましいという嫉妬心が隠れています。

「あの人がさぼって遊んでいる」という気持ちの裏側には、「自分は一生懸命に働いているのに、遊べる時間があるのはうらやましい」という、嫉妬心が隠れています。

「あの人はマナーが悪い」という気持ちの裏側には、「自分はいつもマナーに気を使っているのに、あの人は気を使わなくていいなあ」という気持ちが。

芸能人の不祥事に関しても、「芸能人は不倫ができるくらいモテる」「芸能人は遊べるくらいお金がある」といった、自分にはないものをうらやましく思う嫉妬心から生み出されているものなのです。

しかし、それらはすべて妄想です。自分が見たいものだけ見て、その中で勝手に判断し、勝手にその人の人物像を作り上げ、その人の行動を妄想し、勝手に嫉妬して批判しているにすぎません。

「あの人はサボって遊んでいる」のではなく、「あの人はサボって遊んでいるように見える」のです。

自分の見えないところでは自分以上に必死になっているかもしれません。

他の時間でやることをやっているから、見た瞬間のその時は休憩をしているということもあります。

芸能人に対しても、勝手にその人のイメージを作り上げ、この人はこういう人だと人物像を自分の中で作り上げていきます。

そして、不祥事が発覚すると、その裏の見えない部分を勝手に妄想して作り上げ、その妄想に対して嫉妬をし、批判しているのです。

人は自分が見たいものだけを見て、その中で判断し、自分の都合のいいようにとらえて、自分勝手に世界を作り上げています。

例えば、ここに一人の人がいるとします。

ある人が見れば「この人はいい人だ」と思うこともあれば、また別の人は「この人は悪い人だ」と思うこともあるでしょう。

しかし、この人はいい人でもなく悪い人でもなく、そこに存在するただの一人の人間です。

いい人か悪い人かは、周りの人が勝手に判断しているにすぎないのであります。

このように、今自分が見ている世界は、自分が作り出しているものなのです。

ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によってつくり出される。

もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。

あたかも車輪が、それをひく牛の足につき従うように。

ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によってつくり出される。

もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き従う。

あたかも身体から離れることのない影のように。

ダンマパダ

「汚れた心」とは煩悩のことです。嫉妬心も煩悩です。妬み、嫉みも煩悩です。

この煩悩によって思うがままに話し、行動し、考えるから、苦しみが生まれるのです。

つまり、「他人のことが気になって仕方がない」というのは、ものごとを正しく見ることができない自分自身の心が作り上げた煩悩によって生み出された苦しみだということです。

「他人のことが気になる」というのは、自分の心が作り上げた苦しみです。

そして、苦しみからは逃れるように努めなければいけません。

他人の間違いに目を向けるな。

他人がした事、しなかった事に目を向けるな。

ただ自分がやった事、やらなかった事だけを見つめよ。

ダンマパダ50

このようにお釈迦様は、他人のしたことには目を向けず、自分のしたこと、しなかったことだけを見つめるようにと言いました。

他人のことをとやかく言ったところで、他人は他人です。

他人を変えることなどできません。それより、自分の心を変えていくことのほうが重要なのです。

悩み苦しみは誰の問題でしょうか?それは自分の問題なのであります。

他人の言ったこと、他人のしたことに対して、自分がそれをどのように受け止めたかが大事です。

その受け止め方によって、悩み苦しみになるかどうかが変わってくるのです。

他人の言ったことやしたことは、自分の心が作り上げた妄想です。

自分の心が作り上げた妄想が自分を苦しめているのです。

「自分が何を思っているのか」「自分が何をすべきなのか」「自分が何をしたのか」と、自分の心をしっかりと見つめなおすように」心がけましょう。

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