日常生活の中において、悲しみはつきものです。
家族が亡くなり、愛する人と別れることになるのはもちろんのことですが、悲しいことはそれだけにはとどまりません。
例えば、欲しいもの、求めていたものが手に入らない時も悲しいものです。仕事で一生懸命頑張ったつもりでも、結果が出なかったり、せっかくつかんだチャンスも、些細なことで離れていってしまうこともあります。
思い起こせば、喜びより悲しみのほうが多いかもしれません。
そんな悲しみから、逃れたいと思うのは、人間として当たりまえの感情です。では、どうすれば悲しみから逃れることができるのでしょうか。
悲しみの原因とは
ものごとはすべて因縁の法則によって成り立っています。つまり、必ず原因があり、それによって悲しみという結果が起こっているのです。今、自分が何に悲しんでいるのかを客観的に見ていくことはとても大切です。
突き詰めていくと、悲しみの原因は執着です。もちろん、生きていくうえで何かを求めることは大事なことです。生きるためにはお金が必要だし、食べるものも必要だし、家族や人間関係も必要なものです。
悪いのは、それに固執して執着するところにあります。お金に執着し、仕事に執着し、家族に執着し、恋人に執着し、モノに執着することで、苦しみが生み出され、悲しみとなって表れるのです。
そして、年を取りたくない、死にたくないと思って、生きることに執着します。生きることに執着し、自分の体は自分のものだと考え、自分の思うように動かしたいと思うところに、苦しみが生み出されるのです。
執着を捨てること
ブッダは、執着を捨てることが真の幸福への道だと説きました。
例えば、私たちは生きていくためにはお金が必要です。だから一生懸命に働いて、お金を手に入れようとします。はじめのうちは、お金が手に入ると、モノを買ったり、食事をしたり、生きていくことに使います。それがだんだん、「もうちょっといいものを食べたい」「もうちょっといいものを着たい」「もうちょっといい生活をしたい」と考えるようになります。この考え自体が悪いわけではありません。「もっと、もっと」という意欲が、その人自身に生き甲斐をもたらすことにもなるからです。
しかしそれでは、いいものが食べることができたとして、それで満足するでしょうか。そこからまた「もうちょっと頑張れば、もうちょっといいものが食べられる」と考えだすのが人間です。欲を出せばキリがないのが人間です。「もうちょっと、もうちょっと」が、だんだんそれに固執するようになり、そうなると「いいものを食べたい」という目的のためにお金を稼いでいたものが、お金を稼ぐこと自体が目的に変わってしまってはどうにもなりません。
お金に限らずなんでもそうです。生きるために仕事をし、生きるために家族をもち、生きるために人間関係を作ります。しかし、仕事に執着し、家族に執着し、人間関係に執着すると、その関係が崩れてなくなってしまったときに、生きる支えがなくなってしまいます。「仕事のために生きてきたのに」「家族のために生きてきたのに」と言って嘆き悲しむことになるのです。
手段と目的を間違えないように注意し、執着しないように努めはげんでいかなければ、いつまでたっても悲しみから逃れることができないのです。
出家の道
人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。自己の所有しているものは常住でないからである。この世のものにはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはいけない。
『スッタニパータ』805
ブッダはなぜ出家の道を選び、人々に勧めているのでしょうか。
それは、日々の日常の中で生活をしていると、ものごとに対して簡単に執着してしまうからなのです。
私たちには肉体があります。「この肉体は私のものである」と考え、そこに愛着がわき、執着する心が起こります。執着すると、手放したくないと考え、手放さなければいけない時が来ると、手放したくないと悲しみます。お金を手に入れると、「これは私のものである」と考えて、大切に使おうとします。つまり、そこに執着する心が生まれ、なくなると悲しむことになります。
現代の社会は、あまりあるモノであふれています。しかし、モノがたくさんあるからといって、すべての人が幸せだと感じているでしょうか。
モノがあることと、幸せであることは別の問題です。モノとどう付き合っていくかが大切なのです。
あふれるモノやあふれる人間関係の中に合って、執着から離れることはとても大変なことです。だから、ブッダは出家することをすすめるのです。
ただし、目的と手段を間違えてはいけません。出家は、あくまで執着を離れるための手段であって、出家そのものが目的となってはいけません。逆に言えば、日常の中で執着から離れることができるなら、出家する必要はないということです。
環境を変えて悲しみを絶つ
現代社会において、出家をするということは容易ではありません。
ブッダは、生きることに苦しみを覚え、出家をしました。これは言い換えれば、自分の生活環境を変えるということです。
生活環境を変えるということなら、今の私たちにでもできるのではないでしょうか。例えば、家の中を見渡してみて、不要なものがあれば捨て、本当に必要最低限のものだけを置いた部屋を一つ作ってみましょう。
モノを捨てる時には、もしかしたらためらうことがあるかもしれません。そんなものも、思いきって捨てるようにしましょう。モノはため込むことでムダに愛着がわいてきます。愛着がわけば、手放したくないという執着に変わります。執着は苦しみの元です。執着してしまいそうな環境からは、とことん離れて生活するように心がけるといいでしょう。
最後に
悲しみには必ず原因があります。
原因を突き詰めていけば、人や物に対する執着に行きつくでしょう。
逆に考えれば、執着をなくせば、悲しみは消えていくということです。
モノを欲しいと思い、そのために努力することはとても大切なことです。しかし、それに固執し、執着して、目的と手段が混同しないように気をつけましょう。