思いやりの心は勇気をあたえる

思いやりの心が勇気をあたえる

「抜粋のつゞり」というものを、毎年送っていただいております。

これはクマヒラという会社の創業者である熊平源蔵さんが、社会に感謝と報恩の思いから昭和6年に刊行された小冊子で、最近一年間の新聞や雑誌、書籍などから、こころに響くエッセイやコラムなどを抜粋してまとめられております。

修養や宗教、健康や笑いにいたるまで、多くのジャンルにわたって掲載されており、いつも楽しみに読ませていただいております。

その中で、「君のがんばりがすべてだ」と題する、平井瞳さんのエッセイが紹介されておりました。

これはPHPの令和3年6月号に掲載されていたものだそうであります。

平井さんは中学一年生の時、突如として重いアトピー性皮膚炎になりいました。

全身は真っ赤な発疹で覆われ、掻き壊された皮膚からは血がにじみでてきます。

また、かゆみで勉強に集中できずそれまで学年トップだった成績も一瞬で地に落ち、同級生から「かわいい」ともてはやされた顔も、赤くむくんでしまったそうです。

大きすぎる見た目の変化によって、思春期の彼女の自尊心は崩壊し、病院までの電車でも周りの人に顔を見られるのが嫌で、ずっと下を向いていたといいます。

一般的な治療ではよくならず、漢方治療をしている病院へ通うことになり、医師との相談の上、二年を目標に治療を進めることになりました。

調剤薬局でもらった薬は、煎じて飲むのが一番効果的だといわれて、はきそうになりながら一日三回、食前にぬるま湯で流し込むようにして飲みます。

食事の時間が来るのが憂鬱だったといいます。

それでも、当初の予定通り、二年後の中学三年生の夏休みには、発疹がほとんどなくなっていたそうです。

そのときの様子を平井さんは

「先生のおかげです」とお礼を言うと、医師からは、「君のがんばりがすべてだ」とだけ返ってきた。言葉では表現しきれない、ズンとくる感動で、私は何も言えなかった。

月刊PHP 2021年6月号 (月刊誌PHP)

と語っています。

病気と闘うのは他でもない、自分であります。

二年間の自分の努力が認められ、そして報われたような気持ちになったのでありましょう。

そして、調剤薬局で処方箋を渡すと、いつも一番奥で作業をしていた男性が出てきて、所長だと名乗ると、

「よく我慢した……。我慢の勝利ですね」

と、声を震わせながらいったというのであります。

周りを見るといつもの薬剤師たちも目を潤ませながらうなずいており、直接関わることがなくても、自分の苦しみをおもんばかってくれる人がいたことに驚いたといいます。

そして、病気はつらかったが、それをきっかけに素敵な大人たちと出会えたことで、つらい経験は「価値あるもの」となったといい、さいごに

たとえ相手が子どもでも「その人の持つ力を信じて待つ」という大前提を忘れない、あの頃に出会った大人たちの姿勢は、いつまでも私の憧れだ。同じ大人になって、それがいかに難しいことかも、あらためて知った。

彼らに負けない、私なりの素敵な大人を目指して、日々精進だ。

月刊PHP 2021年6月号 (月刊誌PHP)

と締めくくっています。

とても心が温まるお話でありました。

中学生の平井さんを、子どもではなく、ひとりの人間として対等に向き合っていたからこそ、つらい二年間が「価値あるもの」になったのではないかと思うのであります。

お釈迦様は、相手の能力や素質に応じて様々な教えを説かれました。

100人いたら100とおりの法を説いたのであります。

このお釈迦様の説教の方法を、「応病与薬」ともいいます。

これはお釈迦様の説法を、医者がお腹が痛い人には腹痛の薬を、頭が痛い人には頭痛の薬を処方するように、相手の病状を診てそれぞれにあった薬を処方することに例えたことばであります。

そしてこれは、

仏心とは大慈悲これなり

「観無量寿経」

といわれるように、相手を思いやる慈悲の心からあらわれて行っていることであります。

思春期まっただ中であらゆる感情が沸き起こる年頃の平井さんの話を丁寧に聞き、ゆっくり時間をかけて診察をした医師も、

普段は奥でひたすら作業をしていながらも、彼女の苦しみをおもんばかってくれていた薬剤師も、

そこから私は、ただひたすらに彼女のことを思う慈悲の心を感じるのであります。

そして、この慈悲の心を受け取った彼女にも、未来への希望や勇気が感じられました。

それはまるで、そのまま阿弥陀仏と衆生の関係であり、私は、仏の世界がそこに広がっていたのではないかと思ったのでありました。

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