子どもを亡くしたお母さんの救い

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子どもを亡くしたお母さんの救い

総本山光明寺護寺会が発行している、「ひかり」という月刊誌があります。

念仏信仰の輪を広げるために、全会員に配布をしているのですが、毎月私の手元にも届けて頂いております。

いろいろな方の法話やコラム、その月にあった出来事など、多くの情報が掲載されており、いつも楽しく拝見しております。

すこし前ですが、令和4年4月号に、和歌山県有田市箕島の常楽寺住職である菅田良仁さんの記事が掲載されておりました。

とても心打たれる記事だったので、紹介をさせて頂きます。

「昨日、隼士(はやと)が亡くなりました」

という一文から始まります。

菅田さんのお寺である常楽寺では、ぶっとく幼稚園という幼稚園を運営しています。

その園児さんの話であります。

六年前の月曜日の早朝、ご両親からの訃報でありました。

前の週の金曜日には、いつもの笑顔で元気に遊んでいたそうですが、金曜日の夜に熱が出て、わずか一日半という急逝だったそうです。

「担任をはじめ教職員一同、心の整理がつかないまま、通夜と告別式に参列させて頂きました。

式中のお父さんの挨拶の中で、隼士くんが大きくなったら消防士になると言っていたと話を聞きました。

「隼士は怖がりなのに、なぜ消防士になりたいのかと尋ねたところ、『お父さん、命は大切なんだよ。その命を助けるのが消防士なんだよ』と話してくれました。本当にこころ優しい隼士でした」

参列者の涙がとまらない一幕でした」

と、記事の中でそのときの様子が語られていました。

隼士くんのことを知らない私でも、彼の優しさが伝わってくるような、お父さんの言葉であります。

そしてこのあとに、菅田さんはインドのゴータミーという女性の話を紹介されています。

ゴータミーは、ようやく歩き始めたかわいい盛りの幼い男の子を亡くしてしまいます。

周囲の人は遺体を火葬しようとするのですが、ゴータミーは息子を抱きかかえ決して離そうとしません。

そして道行く人に、生き返らせる薬がないかと尋ね歩くのです。

困った人々は、お釈迦様に相談に行くように勧めました。

お釈迦様のもとにやってきたゴータミーに、お釈迦様は「生き返らせる薬がある」と告げるのです。

そしてその材料として、今まで死者を出したことのない家の芥子の実が必要だと教えました。

ゴータミーは町中の家を訪ねますが、どこの家に行っても家族の誰かが亡くなっています。

夕方になり、一日中歩き回って疲れ果てたゴータミーは、ハッと気がつきます。

家族を亡くして悲しい思いをしているのは私だけではないと。

そうして息子の死を受け入れて、荼毘に付すことにしたのであります。

私はこのゴータミーの話を初めて聞いたとき、お釈迦様はなんとも厳しいことを言いつけるものだと思いました。

もう少し違う説得の方法や、話し方があったのではないかと感じるのであります。

しかしお釈迦様は、これがゴータミーを安らぎへ導くための最善の方法だと判断したのでありましょう。

さて、菅田さんはゴータミーの物語を紹介したあとに続けて、このような事を言っておられます。

「ここでお釈迦様はゴータミーに、ただ「皆が家族を亡くしている」ということを教えたかったのではありません。

彼女が家々を訪ねている中で、きっと自分と同じように子どもを亡くした人に出会ったことでしょう。

そして、一緒に涙してくれる人にも出会ったはず・・・

ゴータミーは智慧の眼を開くとともに、そうした人々との出会いの中で慈悲の心に触れる機会を持ったのです」

この受け取り方には感動いたしました。

お釈迦様の言葉にしたがい、芥子の実を求めて町中歩き回ったゴータミーは、その努力の結果として「皆が家族を亡くしている」ということに気づき、受け入れる事ができたのだと思っていました。

しかし、自分の力でその真実に気がついたのではなかったのです。

多くの人との出会いのなかで、ゴータミーを気遣いおもいやるやさしい心に触れたことで、救われることができたのであります。

西山上人は

「本願は慈悲を種とす」

として、念仏によってすべての人を救うと誓った四十八願は、私たち衆生を思う慈悲の心を元にしているといいます。

さらに

「衆生は慈悲の因(たね)によって往生を得」

として、私たち衆生も仏の慈悲によって救われて、極楽浄土に往生することが叶うというのです。

娑婆の世界でも同じであります。

人とのふれあいの中で、思いやりという慈悲の心に触れることが救いとなり、悲しみを乗り越え、つらい現実を生き抜く原動力になるのではないでしょうか。

記事の最後に、菅田さんはこのように綴っています。

「隼士くんの死から六年、お仏壇にお参りさせてもらうたび涙していたお母さんも、笑顔を見せてくれるようになりました。お母さんもどこかで智慧の光に出会えたのかもしれません」

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