もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る
昔と比べ、ホタルを見ることができる場所が減ってきてしまいました。
ホタルを見ることができる場所が限られ、本当に貴重であるようにも思います。
そんな中にあって、私の住む地域では、この時期になるとホタルを見ることができるのであります。
自宅から5分ほどのところにある公園と、山との間に川が流れています。
住宅地から少し離れているので、きっと川の水もきれいなのでありましょう。
夜7時半を過ぎ、あたりが暗くなり出した頃から、その光がちらほらと見え始めます。
小さな光がひとつ、ついたり消えたりするだけで、大きな喜びがこみ上げてきます。
それがだんだんと増えていきます。
ふたつ、みっつ、いつつ・・・
そして気がつけば、無数の光が、あっちでもこっちでも輝いているのであります。
時には目の前を光が横切り、あるいは手を伸ばせば届きそうなくらいの距離を移動しています。
小さなひかりでありながら、私にはまぶしいほどの輝きにも見えました。
その幻想的な様子に、今年も心を奪われたのであります。
昔から歌や物語には、ホタルがたびたび登場してきました。
ホタルが放つ光が、胸の内にある熱い思いを象徴するとして、美しさやはかなさ、恋の様子をたとえるのに表現されました。
後拾遺和歌集の中で、和泉式部がこのような歌を詠んでいます。
もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る
これは和泉式部が鞍馬の貴船神社に参詣したときに詠んだ歌と伝えられています。
和泉式部は最初、橘道貞と結婚し、一子をもうけました。
しかし、あまり幸せな結婚だったとはいえず、別居してしまいます。
そこへ現れたのが溜め為尊親王であります。
教養があり、やさしい為尊親王にひかれ、ふたりは大恋愛におちいります。
しかし、和泉式部は人妻であり、為尊親王は天皇の御子であります。
当然、周りからは大反対され、その恋は許されません。
でも許されない恋ほど燃えるのであります。
ふたりはすべてを捨てて、一緒になりました。
しかし突然、為尊親王が亡くなってしまいます。
悲しみに暮れる和泉式部の前に現れたのが、敦道親王であります。
敦道親王は、為尊親王の弟でありましたが、ふたりはいつしか深い関係になっていきます。
ところが、敦道親王も亡くなってしまいました。
言葉では言い表せないほどの悲しみを、和泉式部は一気に二度も重ねてしまうことになったのであります。
それから十数年、宮中で働く和泉式部の前に現れたのが、藤原保昌です。
とてもやさしく、和泉式部の過去をすべて知った上で、ぜひ嫁にほしいと迎え入れました。
周りの人もこれを勧めて、ふたりは結婚し、子どもも生まれました。
藤原保昌は本当にいい男であります。その愛情は、和泉式部も痛いほど受け取っておりました。
しかし、和泉式部の心の中には、亡くなった親王殿下がいます。
夫の愛に応えなくてはいけないと思えば思うほど、心の中では葛藤がありました。
藤原保昌のほうも、優しい男でありましたので、妻の気持ちをくみ取って、一人にしてあげた方がいいのではと考えます。
私がいるから妻が苦しんでいるのだと思い、実家に帰って、和泉式部を一人にしてあげるのです。
そんな優しい夫の藤原保昌のきもちに応えなければいけない、しかし昔の恋が忘れられない、こんな心の葛藤から、和泉式部は貴船神社に参詣したのでありました。
貴船神社は縁結びの神さまが祀られています。
今の夫と、心で結ばれる自分にならなければいけないと思って参ったのでありましょう。
貴船神社のみたらし川には無数のホタルが飛び交っていました。
その様子を見て、歌を詠んだのであります。
「もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る」
物思いにふけっていると、沢のホタルが私の身体から出た魂のように見える。
このような意味でありますが、
恋に悩む自分の魂が身体から離れて、あのホタルのように自由に飛び回れたらどれほどいいだろう、という、そんな思いであったのではないかといわれています。
すると不思議なことに、この歌を聴いた貴船の神さまが、歌を返してくれました。
奥山にたぎりて落つる瀧つ瀬のたまちるばかりものな思ひそ
「こんな山奥で、激しく落ちる滝の瀬に砕け散る水のように、魂を砕くほど物思いに沈んではいけない」
神さまが、和泉式部を励ましたのであります。
昔から「ホタルは亡くなった人の魂だ」といわれます。
もしかしたら、そこに飛んでいたのは亡くなった親王の魂だったのかもしれません。
親王が「しっかり生きなさい」と伝えたのかもしれません。
歌からそのようなことを思いました。
ホタルは何も言いません。
ただ光って飛んでいるだけです。
不思議なもので、この光を見ているだけで、生きる気力がわいてくるのであります。