「暑さ寒さも彼岸まで」と昔から言いますが、言葉の通りで夏の暑さも冬の寒さも彼岸を迎えるとおさまって、過ごしやすくなります。
ところで、そもそもお彼岸とは何でしょうか?
何気なしにお寺やお墓にお参りしていますが、どういう意味があるのでしょうか?
ここではお彼岸についてわかりやすく解説します。
「彼岸」の言葉の意味とは?
「彼岸」とは、古代インドの言葉でパーラミターといい、波羅蜜とも訳されます。悟りの世界、あるいは極楽浄土のことを、「彼の岸(向こう側の岸)」というたとえで表現したものです。
「彼岸」と「此岸」
私たちがいる娑婆の世界を「此岸(しがん)」といいます。彼岸と此岸は、ちょうど三途の川を挟んで向こう側の岸とこちら側の岸というイメージです。
「彼岸」とは悟りの世界のことで、迷いを離れた苦しみのない世界のこと、あるいは真理的にその境地にいたることです。
反対に「此岸」とは、輪廻の迷いに苦しむ世界のことで、煩悩にまみれた私たちがいる世界のことです。
私たちが、迷いのない彼岸にいたるためには、修行をしなければいけません。その修行を、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といいます。六つの修行をすることによって智慧の完成をして、彼岸という悟りの境地を目指すのです。
六つの修行
六波羅蜜とは、彼岸という悟りの世界にいたるための修行のことです。
- 布施(物惜しみをしないこと)
- 持戒(悪いことはしないこと)
- 忍辱(耐え忍ぶこと)
- 精進(努め励むこと)
- 禅定(心を落ち着かせること)
- 智慧(ものごとを正しく見ること)
これら六つ行うことによって、智慧を完成させて彼岸にいたることができるのです。
お彼岸の歴史
お彼岸は年に2回、春と秋に行われます。
春は春分の日を中心に前後3日ずつ、秋は秋分の日を中心に前後3日ずつ、それぞれ一週間をお彼岸の期間とします。
そして、中心となる春分の日、秋分の日を「中日(ちゅうにち)」といいます。
お彼岸の由来は?
現在では、お彼岸になるとお寺やお墓にお参りをすることが習慣になり、仏教の行事として知られていますが、発祥はインドでも中国でもなく、日本由来の行事です。
大同元年(八〇六)、早良親王(崇道天皇)のために、国分寺のお坊さんに春と秋の二季、それぞれ七日間にわたって「金剛般若経」を読ませたというのが、お彼岸に法要を勤める始まりだとされています。
また、民間信仰のなかにおいては、中日である春分の日、秋分の日に、太陽を祀る「日まつり」「日送り」という習慣があり、それを「日願」といい、その後仏教の「彼岸」とあわさって今の形になったという説もあります。
この日には、太陽が真西に沈むことから、西方に極楽浄土を建立して存在している阿弥陀仏に対する信仰の広がりとともに、平安時代以降に盛んに行われるようになりました。
先祖をうやまい、亡くなった人を偲ぶ日
現在、お彼岸の中日にあたる春分の日、秋分の日は、それぞれ国民の祝日となっています。
国民の祝日に関する法律では、
春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、
秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ」日とされています。
古来より日本人は、自然とともに生活を営んできました。八百万の神とよばれて、山には山の神、海には海の神がいると信じ、人間はその恩恵を受けて生きていると考えているのです。さらに、亡くなった人さえも神としてあがめることもあり、いかに自然やご先祖様に対して敬いの心を持っていたかがうかがえます。
お彼岸の間には何をするのか?
お彼岸は春と秋にそれぞれ一週間ずつありますが、この期間何をすればいいのでしょうか。
ご先祖様の供養
まず一つは、ご先祖様の供養です。
日本古来の風習であるように、ご先祖様を敬い、偲ぶ期間がお彼岸です。
お仏壇やお墓を掃除して、お供え物をし、ご先祖様をお祀りしましょう。
また、お寺にもお参りしましょう。自分でご先祖様をお祀りして供養することは大事なことですが、できることは限られてきます。また、これでいいのかという不安も起こってきます。お彼岸になればほとんどのお寺で法要が営まれます。出席してご先祖様の供養をして、できることなら法話をしっかりと聞くようにしましょう。
供養するというのは、自分自身の心を養っていくことです。誰のおかげで、今の自分がここに存在することができるのか、ということをよくよく考え、もう一度自分自身を見つめ直すことが大切です。
今を生きる私たち自身が、間違いの侵さないように仏の教えに従って生きていくことが何よりの供養です。
ご先祖様に対する感謝の思いを忘れないようにしましょう。
六波羅蜜の実践
お彼岸の期間中は、自分自身が修行を実践する時でもあります。
本来ならば、24時間365日続けるべきでしょうが、なかなかそういうわけにもいきません。そこで、お彼岸の一週間くらいはその実践をしましょう。
内容は、先にも挙げた六つの修行です。
- 布施(物惜しみをしないこと)
- 持戒(悪いことはしないこと)
- 忍辱(耐え忍ぶこと)
- 精進(努め励むこと)
- 禅定(心を落ち着かせること)
- 智慧(ものごとを正しく見ること)
全部することはとても大変なので、できることから実践してみましょう。
例えば、普段は10円しかしないお賽銭を100円にしてみるとか、いつもなら他人の悪口をついつい言ってしまうところをぐっと抑えるように気をつけるとか、そういった些細なことでも十分です。
普段しないことに目を向けて、悪いことをやめていいことをするように心がけて注意して行動することで、自然と心が清らかになっていきます。
心が清らかになると、日常の中のものの見方も変わり、今までとは違うよりよい生活が開けてきます。悩みや苦しみからも、解放されていくことでしょう。
最後に
日本古来の風習と、インドから伝わった仏教の教えとが結びついて、現在のお彼岸の形になっています。
お彼岸は春と秋に一週間ずつありますが、この期間にはご先祖様を敬い供養するとともに、自分自身の生き方を見つめ直す期間でもあります。
誰のおかげで、今自分はこの場所にいることができるのか。
そして、そんな自分に今何ができるのか。
自分自身の心をゆっくりと見つめ直し、よりよい生き方を開いていくための期間にしていきましょう。