感謝の心が自分を変える
昨年、東京で57年ぶりにオリンピックが開催されました。
コロナ禍で大変な中での開催でしたが、無事に開催され、そして競技が終了したことは、本当に喜ばしいことです。
その中で、始めて正式種目として空手が採用されました。
日本は金、銀、胴のメダルを獲得し、輝かしい成績を収められました。
オリンピックの期間中、空手競技の解説を担当した方で、松久功さんという方がおられます。
競技が行われている3日間で、なんと140試合以上を解説されたそうで、トイレに行く暇もないほど忙しかったと言っておられます。
松久さんが空手に出会ったのは小学校3年生の時。転校先の学校でなかなか馴染むことができず、ケンカばかりしていた松久さんを心配して、ご両親が空手道場に入ることを勧めました。
はじめのうちは基本動作ばかりで退屈でしたが、組み手の試合をやらせてもらえるようになると、自分で技を出す楽しさを覚えて、それからどんどんのめり込んでいったそうです。
中学、高校生時代には全国大会に出場するようになり、強豪の大学へと進学。そこで厳しい練習にも耐えて、みごと全国優勝を果たして学生日本一となったのであります。
大学卒業後も空手を続け、全日本選手権大会優勝が4回、全日本実業団空手道選手権大会優勝が4回、さらに世界でも活躍され、アジア空手道選手権大会優勝が2回など、数々の功績を残されています。
また、それまでルールブックにも載っていなかった「サソリ蹴り」という新しい蹴り技も生み出しました。
引退後は、空手の流派を問わずに、その垣根をこえて空手を学ぶことができる「てっぺん道場」を発足させました。
「てっぺん道場」には、競技で強くなりたい、試合で勝ちたい、そしてなにより空手が大好きだと思う人たちが集まり、今ではおよそ100人の会員があるそうです。
そんな輝かしい功績を持つ松久さんが、先日テレビでこのようなことをお話しされました。
選手権大会で3度の優勝を手にしたあと、その後しばらくスランプが続きました。
大会では2位が続き、なかなか優勝することができません。
そこで松久さんは、自分になにが足りないかを考えました。
今まで何度も優勝してきた人です。力においても技術面においても、相手に対して劣っているとは考えられませんでした。
そこで気がついたのは、気持ちの面です。
今までは自分のためだけに空手をし、自分が勝つことだけを考えてきた。
しかし、自分は周りの人に助けられ、支えられて、そうして空手をすることができる。
自分はそんな周りの人たちに対して心の底から感謝をすることができているだろうかと思ったのです。
それからというもの、松久さんはとにかく感謝することを心がけたと言います。
どんな些細なことでも「ありがとう」とことばをかけて、感謝するという生活を続けたのであります。
するとその年、骨折などのけがを負い、コンディションがとても悪い中にもかかわらず、念願叶ってみごと優勝を勝ち取ったのでした。
松久さんはそこで、「感謝の力はすごいんだなと感じた」と語っているのであります。
人の心は不思議なものだと、いつも思うのであります。
ちょっとした心の変化が、人間の行動を大きく変え、大きな結果をもたらすのであります。
さらにいえば、善因楽果・悪因苦果であり、いいことをすれば自分に安らぎが訪れ、悪いことをすれば苦しみがやってきます。
感謝の心を持つことで、その報いとしていい結果が訪れたのでありましょう。
お釈迦様は、スッタニパータというお経の中でこのようなことばを残されています。
尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。
スッタニパータ
幸せのためには、尊敬と、謙遜と、満足と、感謝と、そして仏教の教えを聞くことが大切であると説いているのであります。
また、
他人からことばで警告されたときには、心を落ちつけて感謝せよ。
ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。
善いことばを発せよ。
その時にふさわしくないことばを発してはならない。
人々をそしることを思ってはならぬ。
スッタニパータ
とも言っておられます。
何かを成し遂げたとき、どうしてもそこには「自分の力だ」と思いがちです。
しかし、その裏にあるたくさんの人たちの支えを忘れてはいけません。
この当たり前のことが、なかなか難しいのであります。
「善いことばを発せよ」
「その時にふさわしくないことばを発してはならない」
わかっているつもりでも、なかなかできないのであります。
「心を落ち着かせて感謝せよ」
感謝の心が、自分自身の行動を変え、よい結果をもたらし、あるいはそこに幸せが訪れるのであります。
感謝する心を、しっかりと育んでいきたいものであります。