陰口より陽口
「口は災いのもと」といいますが、ことばには十分注意しなければいけません。
お釈迦様も、
人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。
ブッダのことば スッタニパータ (ワイド版岩波文庫) [ 中村元(インド哲学) ]
と、教えを残しておられます。
自分で言ったことばによって、自分自身を傷つけているのであります。
それでも、ついついやってしまうのが、「陰口」です。
陰口は、当人がいないところでその人の悪口を言うことです。
その人がいないと思うと、ちょっとした噂話でも大きな話題に変わり、気がつけば悪口に変わっていると言うこともよくあることではないでしょうか。
この陰口の反対の意味を表すことばとして、「陽口(ひなたぐち)」というものがあります。
これは、インターネットなどを通じて広まった造語で、数年前から広く知られるようになりました。
当人のいないところで、その人のいいことを言うことです。
あるとき、友人と食事をしていたときのことであります。
「ちょっと聞いてよ」
と言って始まった彼の話は、職場の愚痴から始まりました。
最近仕事が忙しい
休みなのに連絡がある
給料が少ない
はじめのうちは、よくある仕事の悩みや愚痴かと思って聞いておりました。
しかし、次第に職場環境の愚痴から、人への攻撃にかわっていったのです。
上司がむかつく
同僚が嫌い
後輩が言うことを聞かない
愚痴悩みだけならともかく、本当かどうかもわからない噂まで持ち出して、言いたい放題する始末であります。
まさに陰口のオンパレードです。
そのことばの中の、どれだけが本心であるかなどはわかりませんが、聞いていて気持ちのいいものではありません。
そうかそうかと聞く以外にどうしようもないのであります。
また別の日、違う友人と食事に行ったときのこと。
「ちょっと聞いてよ」
と始まった彼の話は、職場の上司や同僚たちを尊敬しておるようで、その人たちの素敵な一面を聞かせてくれました。
仕事が忙しかったり、給料が少ないなどは、先の友人とほぼ変わりませんが、人に対する思いが違うのであります。
困ったときにはすぐに助けてくれるし、間違ったときにはきちんと正してくれる。
上司にも同僚にも後輩にも、イヤで直してほしい部分もあるとしながらも、本当にいい人たちだと讃えるのです。
お互い信頼し合い、支え合って仕事に打ち込む様子が、話の中からでも読み取れるのであります。
そんな彼の話を聞いていると、自分もその人たちと一度会ってみたい、自分もその人たちのようにお互いに助け合うことのできる人間になりたいと、私にまで活力がわいてくるのがわかるのであります。
陰口を言うよりも陽口を言うことの方が、たとえその場に当人がいなくても、そこにいる人たちを笑顔にするということを、つくづく感じたのであります。
思えば、ことばには本当に悩まされます。
自分自身の何気ない一言が、相手を傷つけたということもよくあります。
何気ない日常の中で、どれだけことばで人が傷ついているでしょうか。
そしてまた反対に、ことばで相手を助けることもできるのであります。
目の前に相手がいてもいなくても、それは変わりません。
目の前の人に向けたことばでなくても、目の前の人が傷つくことがあるのです。
それくらい、ことばは大切なものなのであります。
お釈迦様の弟子で、コーカーリカという人がおりました。
コーカーリカは命終わったあと地獄に生まれ変わったので、弟子たちの間でも話題になりました。
「コーカーリカは自分の口がもとになって破滅にいたってしまった。
舎利弗と目連を誹謗したために、その罪で大地が裂けたのだ」
これを知ったお釈迦様は、「実はコーカーリカは、過去世においても口が災いとなって破滅におちたのだ」と話をされました。
そして、弟子たちにこのように教えを説いたのです。
口をつつしみ、思慮して語り、心が浮わつくことなく、事がらと真理とを明らかにする修行僧──かれの説くところはやさしく甘美である。
ブッダの真理のことば感興のことば (ワイド版岩波文庫) [ 中村元(インド哲学) ]
口を慎み、よく考えてことばを発しなさいということです。
よく考えて発したことばには、思いやりのある優しい思いが詰まっているのであります。
同じことばを発するなら、周りを笑顔にする、いいことばを心がけたいものであります。