お寺の一日は掃除から始まります。お坊さんのイメージを聞かれて、黙々と掃除をする様子を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
きれいに掃き清められた境内、ピカピカに磨かれた廊下、チリひとつない本堂・・・
お寺を訪れると、厳かな空間の中に清潔感を感じます。
ではなぜこんなに一生懸命に掃除をするのでしょうか?
それは、心を整えるためです。
こころがきれいになれば、見える世界が輝きます。
お坊さんが教える心が整うそうじの本[ 松本圭介 ]
世界が輝けば、今より人にやさしくなれます。
ここでは日常生活で役立つ掃除の心得を、『お坊さんが教える心が整うそうじの本』に基づいて紹介します。
なぜ掃除をするのか
冒頭でも紹介しましたが、掃除こころを整えるためにするものです。もちろん、その場所や空間をきれいにすることも大事ですが、日本の仏教では「こころを磨く」行いとして掃除がとても大切にされてきました。
僧侶の掃除と言えば曹洞宗や臨済宗などの禅宗が有名です。禅宗では日常生活のすべてが修行であると考えられていますが、中でも掃除や雑務は作務といって特に重要視されています。実際、曹洞宗の大本山である永平寺に行ってみると、チリひとつない境内やつるつるピカピカの廊下に驚きを隠せません。
私も修行時代、毎朝起きて初めにすることといえば、掃除でした。掃除は朝のお勤めの前にしなければいけないことなのです。朝早くに起きて、眠い目をこすりながらいくつもあるお堂をどうにかこうにか掃除するのは大変でしたが、その後に感じるすがすがしい気持ちは今でも忘れられません。
「面倒だし、なるべくならやりたくないから、何かのついでにささっと終わらせてしまおう。」
お坊さんが教える心が整うそうじの本[ 松本圭介 ]
掃除はそういうものではありません。
これは私の経験からも同じことがいえます。面倒でイヤイヤやった時にはミスが多く、かえって二度手間になったりして時間がかかることがほとんどでした。一つ一つ丁寧に掃除することを意識するほうが逆に早く終わるというものです。
また、日本では昔から学校で全員が掃除をするのが当たり前とされてきました。帰りのホームルームが終わったら、クラスメートと一緒に教室の掃除をしたというのも一つの思い出ではないでしょうか。実は海外では生徒が掃除をすることはないそうです。つまり日本では、掃除に単なる労働以上のものを見出してきたのです。これはおそらく、掃除が単純に「汚れを落とす」だけでなく「心の内面を磨く」ことにつながると考えられるためです。
ところが近年、仕事に対する効率化や生産性が求められて、「やらなくてもいいことはやらない」という考え方が増えました。掃除に関しても、代行業者に頼む人が増えたのではないでしょうか。それが善いとか悪いとか言うわけではありませんが、効率化や生産性の向上による便利な暮らしが、果たして本当の幸福につながるのでしょうか。
本当に幸福な人は、こころが豊かな人できれいな人ではないでしょうか。相手を思いやり、人にやさしくなれる人こそ、本当の幸福をつかんだ人と言えるのではないでしょうか。
掃除はこころを整えてきれいにするものです。掃除の心得を日常に生かして、心がきれいで幸福な生活を送りましょう。
日常生活に役立つ掃除の心得
「面倒だからやりたくない」「嫌だからはやくおわらせたい」と思って掃除をすると、余計に手間や時間がかかることがあります。
前向きに掃除に取り組むことで、整えられたこころは日常生活にも役に立つでしょう。
掃除は自分のためになる
まずは、なぜ掃除をするのか考えてみましょう。
リビングの掃除機掛け、洗濯、トイレ掃除など、家庭内で掃除するところは山ほどあり、毎日やってもやっても終わり切らない量があります。
この膨大な量の掃除を単なる作業だと思うことが、掃除が苦になる原因です。別に部屋が散らかっていようが、同じ服を何日も着ようが、トイレが汚れていようが、気にならない人もいるでしょう。しかし、何度も言いますが掃除は心を整えるものでもあるのです。心が整うということは、生きる力がわいてくるということです。世界が明るく見えて、仕事や恋愛に対する見方が変わり、幸福な生活を送ることにつながるのです。
つまり、掃除をすることは、他でもない自分のためになるということです。自分の幸福のためだと思って、掃除に取り組みましょう。
ゴミについて考える
散らかった部屋を見て、何が必要で何が不要かわからなくなることはないでしょうか。
そもそも、ごみとは何でしょう。汚いもの、古くなったもの、いらなくなったものなど、いろんなゴミがあると思います。でも、どんなものでも初めからゴミだったものはないはずです。
それをごみにするひとがいて、それをごみとみる人がいるから、ごみになったのです。
お坊さんが教える心が整うそうじの本[ 松本圭介 ]
総本山光明寺第69世関本諦承上人の逸話にこんなものがあります。
ある時、関本上人に光明寺が発行している機関誌に掲載する原稿をお願いしました。すると、読まなくなったチラシの裏に原稿を書いて持ってこられたのです。そこで機関誌の担当の人が「サラの白紙の用紙があるのでそれをお使いください」と言いました。すると関本上人は「この原稿に書いてあることは、私とあなたが読めればそれでいいのです。使えるものがあるのに使わないのはもったいないではないか。サラの用紙は清書するのに使いなさい」と答えたそうです。
たった一枚の紙きれでも、まだまだ違う用途で使い道がある場合があります。何でもかんでもゴミとして扱い、すぐに捨ててしまうのはもったいないことです。
つまり何が言いたいかと言うと、ごみを捨てる前に、物を大切にする心を持たなくてはいけません。まだまだ使えるのに、ごみとして処分してしまうことは、物を大切にしていないということです。また逆に、捨てずにずっと取っておくことも同じです。物を使うことなく押し入れにしまっているということは、その物の役目を奪っていることになります。それは結局、物を大切にしていないということになります。
ものを大事にしない人は、人も大事にしません。
お坊さんが教える心が整うそうじの本[ 松本圭介 ]
いらなくなったものは捨てなければいけませんが、なぜゴミになってしまったのかを考えることで、物に対する考え方が変わります。そして物を大切にすることで、こころが整えられて生活が改善されるのです。
習慣づける
掃除は習慣づけることが大事です。「汚れたらやる」「散らかったらやる」では、その場の掃除はできても心をととのえることはできません。
何度も言いますが、掃除は心を整えるためにするものです。習慣化して継続してすることで、心は次第に洗われていくのです。
修行僧の一日は掃除から始まります。禅宗では顔を洗うのにも作法があります。そして、各お堂や廊下の掃除など、あらゆる場所を掃除します。それからお勤め、朝食です。
仏様に朝のご挨拶をするにも、食事をするにも、また勉強するにしても、朝一番に掃除をして環境をきれいに整えているから、一生懸命に励むことができるのです。
職場や学校も同じではないでしょうか。「さあこれから仕事をするぞ」「頑張って勉強するぞ」と意気込んでみても、散らかって汚いところではなかなか意欲もわいてきません。
その日一日を素晴らしい日にするためにもまずは環境と心を整える必要があるのです。そのためにも、掃除は朝一番にするよう心掛けましょう。
また反対に、寝る前は身の回りの片づけをしましょう。
一日中あちこち動きまわっていると、朝に掃除をしていても使ったものを出しっぱなしにしていたり、知らない間に散らかっていたりするものです。
寝る前にもう一度周りを見回して、あるべきところへ戻すようにしましょう。
そして、朝の掃除と夜の片づけは、毎日行うことが大事です。
無理のない範囲で毎日続けて、習慣化させることが大切で、毎日行うことで次第に心が整えられるのです。
臨機応変に
掃除を習慣化するために、スケジュールを組んだり、次の日にすることを考えたりすることがあるでしょう。
しかし、必ず計画通りに掃除ができない場合があります。
例えば、「明日は洗濯物を干そう」と思っていても突然雨が降り出したり、「キッチンの掃除をしよう」と思っていても子どもが邪魔したり、イレギュラーなことが起こることはよくあることです。
そんな時は深く考えずに計画を変更しましょう。
明らかに実行できない状況なのに、無理にそれをやり通そうというのは、それに執着しているということです。仏教で執着は悩みや苦しみのもととされています。
子どもが邪魔をして掃除ができないのにそれを無理にでも押し通そうとすると、余計に苛立ちがあふれてケンカのもとにもなります。当然、突然の雨にもかかわらず洗濯なんかしたら、二度手間以上の苦労が返ってきます。
無理に計画を推し進めようとしなくても、家の中を見回せば、やるべきことはほかにも見つかるものです。
その時の天気や状況に応じて、臨機応変にやっていきましょう。
掃除は心を整えるもの
何度も言いますが、掃除は心を整えるためにあるものです。
そうじは一見すると、面倒くさいものだし、掃除をしないところで誰に迷惑がかかるわけでもないものもあります。そう考えると、やらなくてもいいもののようにも思います。
しかし、誰かのためではなく、自分のためにやるのだと思うことで、掃除にも意欲がわいてくるのではないでしょうか。
こころがきれいになれば、見える世界が輝きます。
お坊さんが教える心が整うそうじの本[ 松本圭介 ]
世界が輝けば、今より人にやさしくなれます。
活気にあふれたよりよい生活を送るためにも、しっかり掃除をして心を整えて行きましょう。