死者からメッセージ
先日、車を運転していると、少し先に何やら茶色いモノが落ちているのが見えました。
ちょうど風が強い日だったので、風で何かが飛ばされてきたのかと、何気なく通り過ぎようとしたときです。
あっ!と思って、慌ててハンドルを切りました。
どうにか無事にそれを踏むことなく、タイヤとタイヤの間を通って抜けていったのであります。
私の住む所は田舎の小さな町で、いいように言えば自然の動物と共存して生活しているような場所であります。
夜になるとときどき、お寺の裏山からガサガサと足音が聞こえます。
場合によってはその鼻息が聞こえてくるほど、近くにまで迫ってきていることがあります。
何かあっては危ないので、さすがにそこでその正体を見にいくことはしませんが、わざわざ見にいかなくても、道を歩いているだけでいろんな動物と出会います。
イノシシやタヌキ、アライグマ、ハクビシンなど、遠くからちょっと見る程度では、かわいらしいものであります。
こうした野生の動物は、年々増えてきているように思います。
地元ではその理由に、関西国際空港を建設する際に埋め立てるための土を取ったことによって、生き物の住処が奪われ、町に降りてきているといわれています。
また最近ではメガソーラー建設の影響もあるといわれます。
反対に住人のほうを見てみると、田舎の地域なので極度に高齢化が進み、あるいはそこに住む人が減りつつあります。
こうした状況から、動物も山から下りてきやすいのではないかというのです。
なんにせよ、私の地元は人間と動物との距離が近い所なのであります。
そこでよくあるのが、山から下りてきた動物が、車にひかれて死ぬということです。
冒頭で私が慌ててよけたモノも、何かの動物の死体なのでありました。
あまりゆっくりとそれを見るわけではありませんが、それにしても無惨な状態であることは容易に見て取れます。
内臓が飛び出して血が広がり、もとの形をとどめていません。
何度も何度もひかれて、ぺっちゃんこになっている時さえあるのです。
よくあることでありますので、もう見慣れてしまっていると言っても過言ではありません。
しかしふと、見慣れてはいけないとも思ったのであります。
たとえ人間ではない、何かの動物であっても、今、目の前に、死が広がっているのです。
死を目の前にしておきながら何も感じないのは、今まで生きていたその生き物に対して失礼な気がしたのであります。
思えば、仏教聖典の中にこのようなお話が出てきます。
人間世界において悪事をなし、死んで地獄に落ちた罪人に対して、閻魔大王が言いました。
「お前は生きている間に、お前の周りで死んだ人を見なかったか」
すると罪人は答えました。
「大王よ、死人ならばわたくしはいくらでも見てきました」
すると閻魔大王が言います。
「おまえは死を警告し、いましめを告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、この報いを受けることになった。おまえ自身のしたことは、おまえ自身がその報いを受けなければならない」
死を目の当たりに見るということは、そこにはその人からのメッセージが込められているのです。
どんなメッセージかというと
「おまえも死ぬぞ」
ということです。
おまえもいつか同じように死に、私のように見にくい姿になって次の世界に生まれ変わる。だから今のうちにしっかりと善いことをすることを怠らずに励みなさい。
そういうことを教えてくれているのだと思うのです。
お釈迦様は在世のころ、瞑想の修行の方法として「死体を見る」ということを教えていたといわれています。
当時、人は死ぬとその遺体は死体捨て場に捨てられました。
そして、鳥や動物にその肉体を食べさせて処理をするという、鳥葬という埋葬方法が行われていました。
きれいだった死体は、日に日に姿が変わっていきます。
ウジがわき、腐敗臭がしてきます。
鳥や動物たちがそれを食べにくるので、内臓が飛び出し、見るも無惨な形に変わっていきます。
お釈迦様は弟子たちに、その様子をしっかりと観察して、自分もいつか同じ姿になるのだと教えたのであります。
私は、形は違えども現代の私たちにそのまま通じるものがあると思っています。
それは、お葬式であります。
お葬式は「死」と直接対峙することのできる貴重な時間であると思っています。
そこで故人を偲び、冥福を祈ることはとても大切なことです。
しかし同時に、自分自身の生き方を見つめ直す時間でもあるのです。
いつか同じように死んでいかなければならないことを、故人がその身を以て私たちに教えてくれているように思うのであります。
「いかなる修行僧、尼僧、在俗信者、在俗信女でも、理法にしたがって実践し、正しく実践して、法にしたがって行っている者こそ、修行完成者を敬い、重んじ、尊び、尊敬し、最上の供養によって供養しているのである。」
お釈迦様は亡くなる直前に、そのように説いたといいます。
間違いを犯さないように正しくいきなさい。
死者から、そんなメッセージが聞こえてくるようであります。