『心が穏やかだと言葉も仕草も穏やかになる』
いつ見ても、ニコニコ笑顔で、やさしい言葉をかけてくださる人がいます。
声を荒げて怒った所を見たことがありません。
座るときも歩くときも、姿勢が崩れているところを見たことがありません。
着ているものも、しわが一つもないといってもいいくらいきれいな着こなしをしています。
その様子がとてもステキで魅力的なので、自分もそのような振舞をしていきたいと思うのであります。
あるとき、「いつも笑顔ですけど、怒ることはないのですか」と、気になっていたことを聞いてみました。
すると、意外な言葉が返ってきました。
「私はよく怒ります。どちらかといえば、怒りっぽい人間です」
私は、その人の怒ったところを見たことがありません。
「でも、怒ったところを見たことがないですよ」
と言うと、話しをしてくれました。
「妻に小言を言われると、すぐに腹を立てます。車を運転してて割り込まれると、イラッとします。子どものすることが、癪に障ることがあります。ちょっとしたことで、すぐに怒ります。自分は怒りっぽいんです。
でも、腹が立ったときには、「腹を立てたらいかん」と思うようにしてます。イラッとしても、癪に障るようなことがあっても、「怒ってはいかん」と思うようにしてます。
そのときはそれでおさまっても、またすぐに別のことで腹を立てます。腹を立てては「怒ってはいかん」と思ってその心を鎮めようとします。
いつもその繰り返しです。だから私は、怒りっぽい人間なんです」
なるほど、怒鳴ったり暴力を振るったりするだけが「怒る」ということではないのだと、そのときに気づかされました。
心の中で起った感情が、行動に出るかどうかというだけの違いなのであります。
腹を立てたら、自分でそのことに気づき、腹を立てないように気をつける。
きっとその繰り返しの中で、穏やかな心が生まれてくるのかもしれません。
また別のある人は、いつも怒っているように見えます。
いつも眉間にシワを寄せて、荒げたような大きな声を出しています。
座るときには足を投げ出して座り、歩くときには肩を揺らして歩きます。
ある時、その人に言いました。
「そんなに怒らなくてもいいのに」
すると、
「怒ってない!もともとこんな顔だ!」
と言われました。
本人が言うのですから、きっと怒ってないのだと思いますが、その人の話はいつも誰かとケンカしたとか揉めたとか、そういう話ししか聞きません。
この二人を並べてみたとき、本当に怒っているのはどちらなのでしょうか。
お釈迦様は、
「正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人──そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。」
と言葉を残されています。
悟りの境地に達した人は、心が静かであり、ことばも行いも静かであります。
同じように、心が穏やかな人は、言葉も仕草も穏やかであります。
逆にいえば、言葉も仕草も穏やかな人は心も穏やかということになります。
いつも穏やかな人でありたいと思うのであります。