信仰ある生活を
先日、研修会でみなべ町の超世寺に寄せていただきました。
地域の中でもいちばん大きなお寺ではないでしょうか。
始めてお参りさせていただきましたが、由緒ある立派なお寺で大変驚きました。
超世寺は、当寺の第58世であり、またここから総本山光明寺第69世法主にもなられた関本諦承上人の出身のお寺であります。
関本上人は、蔓延元年(1860)今のみなべ町にて、農家の家に生まれました。
門前の小僧とはよく言ったものでありまして、10歳のころには菩提寺の本堂の縁に腰掛けてジッと住職の読経を聞き入り、勤行式の大半を暗記したと伝えられています。
14歳の時に超世寺において剃髪得度をし、出家をしました。
爾来、浄土宗西山派の僧侶として勉学に励みます。
当時は総持寺において法脈相承を行っており、紀州の僧侶はここで勉強し、修行を行いました。
関本上人も総持寺にて宗脈戒脈を相承されました。
ところが、この頃から西山派の教えに関して懐疑の念がしきりに起こったといわれています。
そして20歳、京都の総本山光明寺に登り、宗学本校に入学いたします。
卒業後は高野山に登り、さらには何と奈良にまで足を運び、浄土宗西山はの修学に限らず、多くの宗教宗派にわたって広く深く、学を深めていきました。
超世寺の住職となったあとも、その研学をやめることはありませんでした。
明治41年(1908)49歳の時、当寺であります檀林総持寺の貫主となり、さらに大正7年(1918)総本山光明寺69世法主として、59歳の若さで晋山されたのであります。
関本上人の功績は大きなものであります。
上人は、仏教の根本精神を「慈悲」であるととらえておりました。
そして、その心を養うためには、女性の教育が必要であるとし、大正12年(1923)に和歌山に修徳高校(現在の開智中学、高校)を、また昭和2年(1927)には京都に西山高等女学校(現在の西山高校)を創建しました。
さらに、学問にもはげみ、書物の刊行や宗門雑誌の寄稿で、信仰の大切さを時続けられたのであります。
関本上人は和讃も多く残されています。
その中でも、「信仰もちなされ」と題した和讃を、私はいつも大切にしています。
一、皆さん信仰持ちなされ
信仰なしには生きられぬ
心に深く弥陀仏の
慈悲の光を持ちなされ
二、後生は浄土へ参るみち
この世は人間道徳の
明るき道をふんでゆく
人こそ人といはるなれ
三、心に光なき人の
しきりに腕を振り立てて
あたりかまわぬ横行(わがまま)は
虎狼に似たりけり
四、虎狼も時いたり
爪を失ひ牙落ちて
老の至れるその夕べ
後悔いかで遁󠄀(のが)るべき
五、最後の運命来るとき
放ちし弓のかへらぬと
同じなげきに終わるなり
はなたぬさきに心せよ
六、弥陀の慈心を胸に持ち
未来は永遠(とわ)に生きてゆき
この世は人の道をふむ
あかるき人となれよ人
七、慈悲の思ひに胸もえて
殺さず盗まず不義をせず
いつはりいはず酒のまず
かつは四恩に報いんと
八、励むこころに勇み立ち
盡すこころの尊さよ
励むこころの尊さよ
みなさん信仰もちなされ
信仰とは、この身このまま阿弥陀仏にお任せすることであり、心の支えを持つことであります。
心の支えがあるから、何かあったときでも受け入れ、乗り越えていくことができるのです。
心の支えがあるから、努力し、励むことができるのであります。
どうぞ信仰ある生活をお送りください。