自分と妻子は一体だ
産経新聞に「朝晴れエッセー」というものが掲載されております。
これは、読者投稿のエッセーで、600字程度でその人の想いが綴られております。
先日この「朝晴れエッセー」に、森惇さんという方のエッセイが掲載されていました。
紹介させていただきます。
妻は同じものを買うのが苦手だ。生活に彩りを加えたいのだろう。日用品は、使い切ると必ず異なる商品が置かれている。
いつも同じものばかり使っていた私は、商品を替える楽しさを妻から教わった。
ある日、新しい歯磨き粉が置かれていたので何げなく使ってみた。普段よりも甘い香りが鼻先に広がるこの感覚…。
これは、亡くなった父が使っていた歯磨き粉と同じだった。
単身赴任の長かった父とは、幼い頃から親子の交流がほとんどなかった。だが、私は大学生の頃に長期連休を使って、父と2人で住んだ時期があった。そのとき一緒に使っていたのが、この歯磨き粉だった。
記憶は一瞬で学生時代に舞い戻り、元気な父がよみがえってきた。仕事から帰ってくると、父は毎晩のように私と語り合ってくれた。あのときからだ、父を尊敬し始めたのは。私は大学を卒業すると、父の背中を追って同じ道を志した。
しかし、万事はそんな順調に進まなかった。社会人となった私は数年で原因不明の病気を患い、仕事を続けられなくなった。
そんな人生が受け入れられず、だんだん父に嫉妬して八つ当たりをするようになった。それから父が亡くなるまでの数年間はほとんど会話がなくなっていた。私はそれが歯がゆく、悔しい記憶となっていた。
父が亡くなり、4年がたつ。父への後悔ばかりが反芻(はんすう)されていた私だったが、この歯磨き粉で父との良き記憶も思い出すことができた。
「惇、がんばれ」
父の声が、そっと聞こえた気がした。
朝晴れエッセー
とても胸が熱くなるお話です。
お互いを思いやる心が、こちらにまで伝わってくるようであります。
森惇さんは一般の読者でありますが、この朝晴れエッセー以外にも様々なところに投稿し、さらにはエッセイコンテストで賞を受賞するなど、活躍をされております。
森さんはあるとき、原因不明の胃腸の病気になって、闘病生活を送ることになります。
いろいろな病院を回りますが、これといった原因が特定できず、治るかどうかもわからないような状態。
一時はほぼ寝たきりのような状態になり、闘病生活が長くなるにつれて次第に心の病のほうもひどくなっていきました。
流動食も食べられないほど悪かったそうですが、奇跡的に、仕事に復帰できるまで回復したのであります。
そんな森さんのエッセイを読んでおりますと、頻繁に出てくるのが奥様のことであります。
第12回「日本語大賞」で受賞された作品「妻の否定」で、奥様と出来事が書かれてあります。
先の見えない闘病生活で、体だけではなく心まで止んでしまった森さん。
思考はだんだんとネガティブになっていき、そのうち「自分なんていない方がましだ」「もう無理だ、消えたい」と口走るようになったと言います。
そのとき、今まで自分を受け入れてくれていた奥様が「もう、その言葉は聞きたくない」と言って、泣いたような怒ったような顔をして、初めて否定のことばを口にしたというのです。
「私はあなたが病気になってずっとそばにいるから、あなたが頑張っていることも、それでも報われずに辛いこともよくわかる。 でも、 あなたが自分を蔑む言葉を発し続けることで、支えている私や子どもたちまで価値を下げられているように感じてしまうの。もしも、本当にそんなに価値のないあなただったら、それを必死で看護している私や子どもたちは一体何なの?私たちまで辛くなる……」
第12回日本語大賞
「自分に価値はない」と考えることは、自分を支えてくれている周りの人の価値もさげてしまっているということです。
奥様に言われて森さんは、そこで初めて、自分の口走ることばが、妻や子どもを傷つけていると言うことに気がついたといいます。
そして、自分を愛することが家族を愛することになり、また家族を愛することが自分を愛することにつながるとしています。
「自分と妻子は一体だ。だから、自分を責めるなかれ。いきなり愛せなくても、頑張っている自分を否定せず、まずは認めてあげよう」
今日もそう自分に言い聞かせ、私は家族と共に病気と闘ってゆく。
第12回日本語大賞
と締めくくっておられます。
つらい闘病生活でおられるでしょうが、その中に家族の強い絆というものをしみじみと感じさせるのであります。
西山上人のことばに、
南無とは我等が仏を頼む心なり。阿弥陀仏とは頼む心と彼の仏の摂し給ふ他力不思議の行体なり。されば我が心を南無といひ、彼の仏の我を摂し給ふをば阿弥陀仏といふ
西山上人「安心鈔」
とあります。
南無は私自身の心、阿弥陀仏とは、阿弥陀仏という仏さまのことでもありますが、私を生かそう救おうとする不思議な力のことでもあり、周りのすべての人たちのことでもあります。
これが一体となったところが、南無阿弥陀仏です。
これは、阿弥陀仏だけでなく、世界のすべてにおいていえることであります。
家族は、自分と妻と子どもが一体となっている証です。
あるいは親子は、自分と親が一体であることの証であります。
広い目で見れば、すべての人がお互いに関係性を持ち、一体となっているので、世界が存在するのであります。
自分を愛することが家族を愛することになり、また家族を愛することが自分を愛することにつながる。
自他ともに、お互いがお互いを思いやることの大切さを、改めて痛感するのであります。