執着は心の握手
お笑い芸人に小島よしおさんという方がおられます。
「おっぱっぴー」や「そんなの関係ねえ」というギャグでよく知られている方ですが、大ブレイクした2007年頃は、ちょうど私もお笑い番組をよく見ていたときで、そのギャグを見ては大笑いしていたことを思い出します。
小島よしおさんは早稲田大学教育学部の出身ということで、高学歴の持ち主であります。
ご自身でもyoutubeを使って子どもたちに対して勉強を教えており、その内容が、とてもわかりやすいと大人気なのだそうであります。
そんな小島よしおさんの記事が、AERAdot.というオンラインメディアに掲載されておりました。
送られてきた子どもたちの悩みや疑問に答える、「ボクと一緒に考えよう」という連載コーナーです。
先日そこに載っていた子どもの悩みに対する、小島さんの回答が興味深いものでありましたので、紹介させていただきます。
子どもからの質問は、次のようであります。
「仲良しだった友だちが、他の子と仲良くなって私を仲間外れにします。悲しいです。ベストフレンドだと思っていたのに。どうしたらいいですか?」
人間関係は、子どものみならず、大人にとっても難しいものであります。
人間関係をたもつことほど、難しいことはないのではないかと思うのであります。
この質問に対して、小島さんは「仲間はずれってつらいよね」と共感しながら、自らの体験を交えた話をされました。
仲良しだった子が他の子と仲良くなって、そのこと疎遠になってしまった。けれども、しばらくしてからその子とまた仲のいい関係にもどったというのです。
そしてそれは、大人になっても同じで、仲良しだった人と一度関係が遠くなったとしても、何年もたってからまた仲良くなることもあるんだというのであります。
そして、人との関わり合いの中で大切にしていることをこのように語りました。
人との関わり合いのなかで僕が大切にしているのは「執着しすぎない」ってこと。執着しすぎる、っていうのは、言い換えれば「心の握手」が強すぎるってことだよ。心の握手が強すぎるとどうなると思う? 友だちが手を離そうとしているときにこっちが強くにぎってしまうと、友だちの手が痛くなってしまう。それでも友だちが無理やり離そうとしたら、こちらの手はもっと痛くなってしまうよね。
お互いに痛くなった手では、もう一度握手するのは難しいかもしれない。でも、ゆるく握っていれば、一度離れてもまた手を握ることができると思うんだ。いま、みーみちゃんは仲間外れにされてとても悲しいと思うんだけど、今は自分の手を痛めないためにも、握手している手をゆるめてしまっていいと思うんだよね。もしかしたら仲間外れは勘違いだったっていうパターンもあるかもしれないし。よしおは以前そういう事が実際にあったよ……(笑)
AERAdot.
この表現には感動いたしました。
思えば、握手をする時、相手に対する気持ちの持ち方次第で、その握り方が少しずつ違っているように感じます。
相手のことをよく考えれば、強すぎず、弱すぎず、ちょうどいい加減で握手をするでしょう。
執着しないというのは、相手の気持ちをくみ取ったちょうどいい関係のことなのかもしれません。
あるとき、メッタグーという人が、お釈迦様のもとに行くと、このようにたずねました。
「お釈迦様、世の中にある種々様々な苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」
お釈迦様は答えられました。
「メッタグーよ。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、なぜ苦しみが生じるか観る人は、執著をつくってはならない。」
そして
「その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ。」
と教えられました。
また、ドータカという人が
「この世の苦悩から遠ざかり、離れる法を教えてください」
と言うのに対して、
「まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かしましょう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ」
「そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、──それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」
と説かれました。
このように、いたるところでお釈迦様は、苦しみの原因は執着であると説いたのであります。
執着から離れることが、いかに大切かということが、お釈迦様の言葉からもよく感じとることができるのであります。
さらに
「この世において執著のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する」
といって、執着のもとは愛欲であるといいます。
愛欲は自己中心的な欲望です。
これによって執着が生み出されるというのであります。
相手に対して一方的な望みを示すのは、かえって自分を苦しめることになります。
それはまさに、強く握った握手の手が相手を傷つけ、自分の手元から離れていってしまうことそのものであるように思います。
心で握手をするように、大切に相手と付き合っていきたいものであります。