「ムーンショット」と「仏の誓願」
ネットニュースを見ていたら、「ムーンショット」という言葉が目にとまりました。
気になって記事をクリックし、見てみました。
語源をたどると、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領にその端を発するようであります。
1961年、ケネディ大統領が「10年以内にアメリカ人を月に送る」と宣言しました。
これが「ムーンショット演説」といわれ、歴史的な大演説となりました。
この演説の2年後、ケネディ大統領は暗殺されてしまいますが、その後も計画は続けられます。
アポロ1号の火災事故などで実現が危ぶまれることもありましたが、演説からわずか8年後の1969年、アポロ11号が史上初めて人類を月に送り込むことに成功しました。
みごと、ケネディ大統領の宣言した目標が達成されたのであります。
この出来事から、誰も成し遂げていなくて、困難であるが、達成すれば大きな効果をもたらすような、壮大な計画や挑戦のことを、ムーンショットとか、ムーンショット目標、ムーンショット計画などといわれるようになったのであります。
当時は多くの人が、本当に月に人類が到達できるとは思ってもみなかったのではないでしょうか。
しかし、実現できたのであります。
アポロ11号のニール・アームストロング船長が「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍である」と名言を残されましたが、ケネディ大統領の宣言によってまさに人類は偉業を成し遂げたのであります。
この「ムーンショット」という言葉の意味を知って、私は「仏の誓願」を思い浮かべました。
誓願は、仏となるための誓いであります。
すべての仏さまは、共通して四つの誓願を立てています。
・衆生は無辺なれど誓って度せんことを願う
・煩悩は無辺なれど誓って断ぜんことを願う
・法門は無尽なれど誓って知せんことを願う
・菩提は無上なれど誓って證せんことを願う
この上なき悟りに向かって自分自身が努力し続けると同時に、無量無辺の衆生すべてを救うと誓いを立てているのであります。
また、この四弘誓願は総願といわれ、すべての仏さまに共通する誓いであり、これとは別に、それぞれの仏さまが独自で立てた誓願があります。
阿弥陀仏でいうなら、四十八願がこの別願になるのであります。
四十八の誓願のなかでも、第十八願において「念仏をするすべての人を救う」と誓いを立てました。
「設い我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、若し生ぜずんば、正覚を取らじ」
そして、この誓願を成就するために六度万行の修行をされ、みごと仏となったのであります。
つまり、お念仏をする者は、阿弥陀仏の力によって救われて、極楽浄土に往生することができるというのであります。
無料無辺の、数えきることができない生きとし生けるものをすべて救うという誓いは、まさにムーンショットというような、大きくて壮大な目標であります。
そして、この目標が達成されて、菩薩が仏となったときには、その恩恵が衆生にもたらす利益は相当大きなものであります。
先日、オンラインで曹洞宗の僧侶である藤田一照さんのお話を聞く機会がありました。
そのときに、発願の大切さを語っておられました。
曹洞宗の開祖である道元禅師は、仏道修行に打ち込むための心構えとしての「発願文」を残されています。
発願とは、誓願を起こすことであります。
自分が目指すべき道を、はっきりと、明確にすることで、日常の行動がそこに活かされてくる。
しかし同時に、努力すればするほど至らない自分に気づくことができるので、懺悔の心が生まれる。
これによって自分自身をもう一度見つめ直し、再び目標に向かって努力する。
このようにして何度も何度も、繰り返し繰り返し努力して、自分自身を向上させていくというのであります。
また、発願して自ら目標を立てることが、生きていくためのエネルギーにもなるのだというのです。
だから「皆さんもぜひ、発願文を作ってください」と話をされました。
その誓いが実現できるかどうかは問題ではないのです。
道元禅師の発願文も、どう考えたって実現不可能な内容だとおっしゃっていました。
発願し、誓いを立てることによって、自分自身を見つめ直すことができるのです。
問題は、日常の生活をどのように過ごすか、それが大切なのであります。