法話

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「いい人」と「いけない人」

人間は大きく「いい人」と「いけない人」にわけられ、さらに、いい人は三つに分けることができます。この四つの人の中で一番いいのは「いけない人」です。「いけない人」には共通してある特徴があります。いったいどんな特徴があるのでしょうか。
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人生の第一義はなにか

人生の第一義は何かと常々考えてしまいます。自分はなにを目標にして生きればいいのでしょうか。お釈迦様はすべてを捨てて出家をし、法然上人は諸行を捨てて一生を念仏の生活に励みました。多くのものや情報に惑わされず、自分に一番大切なものは何か考えていきたいものです。
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三年坂は残念な坂

三年坂の由来は「残念坂」でありました。転ぶと三年しか生きられないというこの坂で転んだおじいさんは一時床に伏せてしまいますが、若者に「一度転べば三年長生きできる」と言われて何度も転ぶことで、元気に長生きしたといいます。まさに病は気からであります。
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井戸に落ちた猫

井戸に落ちた猫が、梯子を駆け上って無事に助け出された様子を見て、自分自身の境遇と重ね合わせました。その猫はまるで、苦しみの闇の中にいる私のようです。そんな私に阿弥陀仏は救いの梯子をかけてくださっています。仏のお慈悲によって、暗闇から抜け出すことができるのです。
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自分を愛するということ

自分を愛することは大切です。西山上人は「衆生の重んずる宝、命にすぎたるはなし」といいます。自分の命ほど大切なものはないのです。それは他者も同じです。だから、自分を大切にするように、他者に対しても接していかなければいけません。
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ずるいと思う自分が誰よりもずるい

ずるいと思う自分が誰よりもずるいと思うのです。辞書にはわるがしこいなどの意味もありますが、妬み嫉みの感情から起こるうらやましいという意味でも使うように思います。気をつけていても嫉みの心が起こってしまう自分の愚かさを痛感します。
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執着は心の握手

執着は心の握手のようだと、お笑い芸人の小島よしおさんが言いました。強く握れば相手の手は痛くなる、さらに力を入れれば自分も痛くなる。相手の気持ちを考えて、いい加減で握手をするように、他人と接するときにも相手を思って接することが大切であります。
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オリンピックの聖火に見る仏の光り

北京オリンピックの聖火は目を見張るものがありました。聖火ランナーのトーチがそのまま聖火台になったのであります。世界の国と地域を記した雪の結晶を照らすその炎は、まるで世界を分け隔てなく照らす阿弥陀仏の慈悲の光りのようであります。
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鬼は外とはいうけれど

節分には「鬼は外、福は内」と声をかけて豆まきをしますが、場所によっては「鬼は内、福は外」と言うところもあるそうです。鬼は外からやってくるものではなく、自分の心の中にいるものです。自分勝手で鬼のような自分の心を、外へと追いやるのであります。
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思いやりの心は勇気をあたえる

思いやりの心は、他人に勇気をあたえます。思いやりの心とは、慈悲の心です。仏さまのこころは慈悲の心であり、人もその心を持っています。慈悲の心で接すれば、相手をよろこばすことができ、慈悲をいただいた人はそこから未来への希望や勇気が湧き起こります。
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本当の邪魔者は誰だ?

本当の邪魔者は?邪魔とは、目的を妨げるものごとのことをいいます。「魔」とは悪魔の事を指し、お釈迦様は悟りにいたる前にこの悪魔と対峙して、みごと悟りを開きました。これは自分の心の中の煩悩との対峙であるともいえます。本当の邪魔者は一体だれなのでしょうか。
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神さまは小ちゃな蜂の中に

「神さまは小ちゃな蜂の中に」は、金子みすゞさんの詩「蜂と神さま」に出てくることばです。きっとお花の中を飛び回る蜂の中に、広大無辺に広がる神さまの世界を見たのでありましょう。ここから「華厳経」や「梵網経」に説かれる仏さまの世界観を思い浮かべるのです。